F1フェラーリレーサーの暴走伝説
ロイターやAFP通信から各種マスコミに、F1元チャンピオンのミハエル・シューマッハが自らタクシーを運転というニュースが流れていました。
シューマッハといえばベネトンで2年連続チャンピオンを取った後、堕ちた名門フェラーリ復活のために移籍し、2000年から2004年まで5年連続、計7度の世界チャンピオンという前人未到の大記録を打ち立てた偉大な顎です。
シューマッハの地元ドイツや、フェラーリのお膝元イタリアでは、もはや英雄扱いの超有名人。
そんなスポーツ選手が「飛行機に間に合わないから」って自分でタクシーを運転とか、なかなかあり得ない話で非常におもしろいです。
日本でいうなら草野球してたら長嶋永世監督がいきなり参加してきたくらいのインパクトでしょうか。
しかし、フェラーリのF1レーサーってけっこうこういう暴走やるんですよね……。ちょっと今回はそんなエピソードをいくつかご紹介しましょう。
ジャン・アレジの暴走
フェラーリといえばジャン・アレジ、という人も多いのではないでしょうか。幼馴染みの彼女とは「家族が出来たらアクセルが踏めなくなる」と言って結婚してもなかなか子供を作らなかったくせに、あっさり日本人女優後藤久美子と付き合い始めて子供ぽろぽろ産ませたイタリア系フランス人。フェラーリには1991年から1995年まで4年間在籍し、低迷するチームで熱い走りを見せてくれた人気レーサーです。
このジャン・アレジの暴走といえば、昔どこかの雑誌記者が記事にしてた飛行機より速かった事件。
なんでもその記者が飛行機の搭乗に間に合わないというので、親切なアレジは自分の車(もちろんフェラーリ)に乗せてくれたのだそうです。その走りたるや凄まじいもので、ヨーロッパの道をものすごい速度で走り抜け、目的地にはあっという間に到着。
しかし、その記者が乗る予定だった飛行機はまだ空港に着いてなかったのだそうです。
ていうかスピード制限無いんですか、ヨーロッパの道。
エディ・アーバインの暴走
エディ・アーバインもフェラーリに1996年から1999年までの4年間在籍していました。
ガラも口も悪いせいかインタビューや発言の日本語訳ががらっぱち風に翻訳され、日本に住んでたときは夜の六本木によく出没していたというイカしたレーサーです。
そんなアーバインなのでちょっとしょぼいエピソードなのですが、イギリスにいたときにスクーターでスピード違反の切符をきられたことがあります。それだけならまだいいのですが、なんとエディ・アーバインはそのまま国外逃亡。裁判所出頭命令も無視しまくって、とうとう逮捕状が出てしまいました。いまでもロンドンに帰れば即逮捕らしいです。
ゲルハルト・ベルガーの暴走
歴史上、フェラーリから一度出た選手がもう一度フェラーリに復帰したなんてことは、このゲルハルト・ベルガーを除いてありません。それくらいフェラーリの似合う男です。
数々のイタズラとナンパで知られ、陽気なゲルマンという矛盾した存在(偏見?)であるベルガーの暴走っぷりはとてもここじゃ書き切れません。チームメイトのパスポート写真を男性器の写真に張り変えただの、ベネトンガールの着替えを覗いてただの、チームオーナーをワニ池に叩き落しただの、助手席に座って走行中にサイドブレーキ引いただの、またそれだけやらかしておきながら「みんなに好かれるナイスガイ」という評価をもらってるだの、ホントいくらでもエピソードの出てくる人です。
このベルガーの実家は運送会社なのだそうで、車はたくさんあるらしいです。しかもベルガーの姉というのがまた豪快な人なのだそうで、一度姉弟喧嘩がこじれて家の車でオーストリアの山道を姉と暴走レースしてしまったのだとか。なんとも豪快な兄弟喧嘩です。
ルカ・モンテゼモロの◯◯
しかしやはり最強なのは、フェラーリ現社長ルカ・コロデロ・ディ・モンテゼモロ氏でしょう。
こんな暴走レーサーたちを従えてるだけでもすごいと思いますが、それだけじゃない。
これも昔の雑誌のインタビュー記事にあったエピソードですが、取材が長引いてしまって、モンテゼモロ氏がインタビュー後に乗る予定の飛行機に間に合わなくなってしまったのだそうです。アレジは飛行機より速く走ることでどうにかしましたが、モンテゼモロ氏はもっとすごい。
なんと平然と「きっと待っててくれるから大丈夫だよ」と言い放ったのだそうです。半信半疑で記者も一緒に空港に言ってみると、ホントに飛行機が出発を遅らせて待っていたというから驚きです。
フェラーリというのは地元イタリアでは特別な企業なのでしょうけれども、それにしたって一私企業の社長のために飛行機の時間を遅らせてくれるとは、さすがイタリアだと思いました。日本じゃあり得ないですよね。