女傑と呼ぶにふさわしい歴史上の偉大な女戦士たち10人
歴史上、英雄と呼ばれる人物は数多くいますが、武器を持って活躍した女性も少なくありません。
中でも女傑と呼ぶにふさわしい、偉大な10人をご紹介します。
1. ゼノビア
ゼノビア - Wikipedia
3世紀にローマ皇帝の権威が低下した時代に、シリアやエジプト周辺を領土としたパルミラ王国 の女王。「ササン朝ペルシャの侵略からローマ東部属州を護る」という名目で、次々に領土を拡大していきました。
ゼノビアは自らを「エジプトの女王」と称し、「戦士なる美の女王(Warrior Queen)」とも呼ばれました。その後ローマ帝国との争いに敗れ捕虜となりますが、ローマの元老院と再婚し、裕福な暮らしをしたとされています。
2. カラミティ・ジェーン
カラミティ・ジェーン - Wikipedia
西部開拓時代における女性開拓者でありプロの斥候。凄腕のガンマンであった彼女はカラミティ(厄病神)とあだ名をつけられるほどの女傑で、長期間のインディアンたちとの戦争に関わるいくつもの作戦に参加しています。
3. セミラミス
セミラミス - Wikipedia
メソポタミア(現在のイラク)北部に興り、世界帝国を築いたアッシリア帝国の伝説の女王。美貌と英知を兼ね備えていたとも、贅沢好きで好色でかつ残虐非道であったとも伝えられ、世界の七不思議の一つ「バビロンの空中庭園」を造らせたのが彼女といわれています。
4. 婦好
婦好 - Wikipedia
婦好(ふこう)は殷第23代王武丁の妻子の一人。自身も出陣し、1万3000もの軍勢を指揮したと伝えられています。
5. タマル
タマル (グルジア女王) - Wikipedia
12世紀にセルジューク朝を駆逐して領土を拡大したグルジア王国の女王。グルジア王国の版図を南カフカース全域にまで広げ、グルジア王国の最盛期を築いています。
6. アン・ベイリー
Anne Bailey - Wikipedia
アメリカ独立戦争や北西インディアン戦争で斥候やメッセンジャーとして活躍した彼女は「マッド・アン」の異名を持っています。独立戦争で夫を亡くしたことが彼女を戦いに駆り立て、火薬を運ぶため砦から砦まで160kmを騎乗したなどのエピソードが残されています。
7. ブーディカ
ブーディカ - Wikipedia
西暦60年頃、現在のイギリスにあたる土地で、ケルト人イケニ族の女王として君臨。ローマ帝国の侵略軍に蹂躙されたものの、ケルト部族をまとめ上げ、大規模な反乱を起こしました。
各地のローマ帝国植民地を次々に攻略し、ローマ軍第9軍団ヒスパナを打ち負かすなどの戦功を上げ、ネロ帝に軍撤退を決断させるも、ワトリング街道の戦いでローマ軍の反撃を受け敗れました。
8. 徴姉妹
徴姉妹 - Wikipedia
1世紀に後漢の支配下にあった南越(現在のベトナム)で起こった「ハイ・バ・チュン(徴姉妹)の乱」を首謀した姉妹。姉は徴側、妹は徴弐。「重大な反乱行為」とした後漢の光武帝は大軍を送り込み、徴姉妹は共に捕らえられた末に殺害されています。
9. ジャンヌ・ダルク
ジャンヌ・ダルク - Wikipedia
言わずと知れたオルレアンの乙女。神の啓示を受けたという農村の娘であった彼女は、百年戦争の際にオルレアン解放に貢献し、シャルル7世をランスで戴冠にも寄与しています。その後コンピエーニュの戦いで捕虜となり、宗教裁判で異端者と断罪された末、ルーアンで火刑となりました。
10. 巴御前
巴御前 - Wikipedia
平安時代末期の信濃国の武将として名を馳せた、源義仲の妾。
強さだけでなく、美しさもあわせ持っていたことが平家物語の一節で記されています。「中にも巴は色白く髪長く、容顔まことに優れたり。強弓精兵、一人当千の兵者(つわもの)なり」
以上、歴史に偉大な名を刻む10人の女傑たちでした。
日本からも選ばれていたのは意外でしたが、さすがは巴御前と言ったところですね。
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