国語の先生に問いたい「本当に筆者はそんなこと考えてたの?」
国語のテストを受けると、こんな感じの出題があったと思います。
「筆者が意図するところは何か」「筆者が本当は伝えたかったことは何か」
その模範解答を見て、本当に筆者はそんなことを考えて書いたのかな?って疑問に思ったことはないでしょうか。
海外でも同じことを思う人は多いようで、人気となっていた図をご覧ください。
あるあるある、って言いたくなりませんか。
もちろん本当に筆者が意図していることもあるでしょうが、いちいちそこまで深く考えて書いてるのか、筆者に直接聞いてみたくなるときもあるのではと思います。
アメリカの国語、つまり英語の読解でも、同じような疑問を持たれているのも、おもしろいところですよね。
このグラフを見ての、海外掲示板のコメントを抜粋してご紹介します。
・英語の教師だが、この図はまったくもって正確だ。文学の世界で多くの著者が困難に思うことは、作品が世に出るやいなや、何通りにも解釈され、自分の意図しなかったことを言う羽目になるからだ。しかしそれが文学の解釈のおもしろさだ。どんな点からも解釈し得るし、文章内に証拠さえあれば可能である。
・なるほど聖書のようにか。
・シーンの設定をするときに、著者がカーテンの色の記述に時間をかけたのか気になる。カーテンの色はその部屋のイメージを作るのに違いを与える。
・これはおもしろいが、だいたい文学の解釈では著者の意図はそれほど大事ではない。「著者がどう意図していたか?」というのは「文章がどういう意味か?」ほどは重要ではない。
・だいたい人はいつも裏に隠れた意味を探そうとするんだ。僕の先生は自分の解釈を僕に叩き込み、人の意見を聞かなかった。高2のときのそのバカ先生の授業では、議論すると怒鳴ってきた。他人の解釈をまったく受け付けないので、当時は傷つけられた。
・うちの先生は、むしろいろんな解釈を歓迎していたよ。
・それが文学のいいところだ。誰でも好きなように解釈できるというね。
・滑稽でもある。だいたいの熱狂者は、可能性のある裏の意味を考えすぎる。そして解釈したことがシンボルだと思う。そして本のサイン会か何かで著者に尋ねるんだ。すると著者はにっこり笑って、「それは君が決めることだよ」と言いながら、きっと彼らは「うお、そんなこと考えもしなかった」とか思うことになるんだ。
・きっと著者によると思うよ。もしウィリアム・フォークナーのような著者なら、きっともっと意味があるんだろう。あるいはいちいち記述しないだろう。だがステファニー・マイヤーなら、きっと青いカーテンは、ただきれいだなと思っているんだろう。
・きっとその先生は単にみんなの意見を刺激しようとしているんだ。数学でない限り、完全に間違っているとか正しいということはないだけに、学校はアイデアを交換する場所でもあるからね。
同じ文章から、みんなが似たような解釈をするようになると、意思の疎通という面ではメリットがあるのかもしれませんね。
My English teacher keeps showing this to us
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