天安門事件の「無名の反逆者」に別アングルの写真があった…海外で大きな反響
天安門事件(1989年)から四半世紀近くが過ぎようとしています。
北京・天安門広場に集結した、学生を中心とした民主化デモに対し、軍隊が武力弾圧で多数の死傷者を出したことから、国際的な非難を浴びました。
そして世界に衝撃を与えたのが、この戦車に立ち向かう「無名の反逆者」または「抗議する男」と呼ばれる男性。
このシーンを別のアングル、地上の視点から写した写真が海外サイトで紹介され、大きな反響を呼んでいました。
左奥に「無名の反逆者」として有名な男性が、そして右からは戦車が、今まさにやってこようとしているところです。
中国共産党政府による検閲のため、中国国内では見ることも知ることもできないだけに、この写真の重みをよりいっそう感じます。
参照:中国版Google「天安門」の検索結果が海外で話題に、外国人たちのコメントは…
この写真に対する、海外サイトの反響をご紹介します。
●左側の奥にいるのは、戦車の男じゃないのか?
●その通りだよ、天安門だよ。
●これを見たとき寒気がした。このイメージはいつも頭から消えない。
●写真の背景を見てぞっとしたよ。動画を見るまではとにかく写真しかないと思っていた。腕を振ったときはもう…勇気があると思ったよ。
映像:Tank Man (now with more raw footage) - YouTube
●画像のオリジナルはここだね。
●撮影したのはテリル・ジョーンズ氏で、北京のホテルからNikon F-801 SLRを使ったらしい。
●戦車がなくてもすぐその男とわかったと思う。正直に言うと戦車に気づくのにかなり時間がかかった。これがどれくらい世界の歴史に強く印象付けられているかがわかるね。しかしこの男性はどうなったんだろう?
●きっと中国政府は彼がどこにいるかを知っていると思う。
●あるいは彼自身がどんなに有名であるかを、知らない可能性もあるんじゃないか。中国国外では有名だけど、国内では検閲されているだろうから。
●最も写真写りのいいアジア人だろう。
●歴史的なすごい写真だ。戦車を見た瞬間、目が左に動き、そうしたら彼がいた。
●自分も同じだったよ。うわ…うわわあ……って感じだった。
●首筋から震えだよ…。この男性は肝がすわっている。この戦車の前に立ちはだかる写真から常に影響を受けてきたよ。自分がそんな勇気があったらってね。だけどきっと自分なら走って逃げてるね。
●天安門事件や戦車の男のドキュメンタリーを見たけど、中国人が自国の政府をどんなに恐れているかを知って怖くなった。とにかく全て検閲していて、事件を知っている人も口を閉ざしているんだ。そうしておけば政府から急にひっ立てられたりしないからな。5人の中国の学生が、この戦車の男についてインタビューされていたけど、ひとり以外は写真の意味も知らなかったんだ。そのひとりも怖くて知っているとは認めないが、隣の女の子に「1989年」とささやいているのをマイクがとらえていた。
●写真を見て、あまりの驚きであごが外れそうになった。例のアングル以外の写真があるなんて思いもしなかったよ。
●猛ダッシュして逃げている男の顔も印象的だ。まずそれを見て、いったい何から逃げているのだろうと後ろを見たんだ。
●中国では、検閲のせいで、この男性のことをほとんど誰も知らないと聞いたけど、それは本当なの?
●私は中国出身ですが、英語はネイティブスピーカーではないため、言いたいことが正確に伝えられるかわかりませんが、説明してみようと思います。
私は中国で育ち、家族は毛沢東主義派が推奨した労働者階級でした。大人は誰ひとりとして、(事件が起きた)6月4日のことは話しません。知っていようといまいとです。なので私の年代の若者は聞いたことがありません。
ただしそれは検閲のせいというよりは、私たちが膝までどっぶり浸かっているほど貧困で無教育のため、毎日のサバイバル以外は何も気に止めなかったとも言えます。そのため長い間、私よりずいぶん恵まれていて、私のように穴だらけではない服を着た人たちが、何を不満に思って抗議しているのか理解できませんでした。日々の生活に追われると、政府に疑問を投げかけることより気にかけることが多いのです。
両親や祖父母たちのように、文化大革命やその直後を体験している人々はまた違います。彼らは政府の言うことに疲れています。長期に渡って苦難に耐えてきたために、落胆、恐れ、無関心になっています。戦車の前に立つ誰かなど、ただでさえ大変な人生をより困難にする愚か者であると、すぐに頭から追いやられるのです。さらに自分たちのことばかり考えている裕福な人や教育された人々への憤りで頭がいっぱいなのです。とにかく人生が重荷でいっぱいのため、それ以外を気にかけるエネルギーがありません。
私はかなり経ってから中国を訪ねて、天安門広場に行きました。そのときにはアメリカの教育システムによって学んだので、非道なことが行われた場所であることは知っていました。両親は毛沢東の遺体を見ることができて喜んでいましたが(天安門広場には毛沢東の廟があり、防腐処理保存された遺体を観覧できるようになっている)、私はどのように感じていいのか混乱していました。
人々は共産主義をひどいものだと言いますが、人生の半分をそうやって生きてきた私にすれば、区別がつきません。毛沢東が権力をふるい出してから生活が良くなりました。それまでは生まれた階級から逃げることが出来ませんでした。それによって自分たちは無力じゃないという希望を与えられたのです。金持ちはより金持ちへ、貧乏人はより貧乏になることを思うと、共産主義は敵というよりは仲間という気がしています。
写真もそうですが、立場や意見についても、いろんな角度から見てみることが大事なように感じます。