「1度きりの出会いだけど、その存在が忘れられない、今でも気になるという人はいますか?」印象的なエピソードいろいろ
人生には数知れない出会いがあり別れがあります。
たまたま同じ場所で同じ時間を共有していた、それだけのことですが、心にいつまでも残っていたり、忘れられない人もいます。
海外掲示板に「たった1度の出会いだったけど、その存在が忘れられない、今でも気になるという人はいますか?」と、投稿がありました。
その中から印象深かったものを、ご紹介します。
●買い物をしていたら、12〜13歳の女の子が生理用品の売り場にいた。話し声で彼女の初めての生理用品の買い物のようで、一緒に来ている父親は娘を助けようとしながら混乱していた。そこで私が手伝ってあげると声をかけて、いろんな製品などのオプションを説明してあげた。そのあいだ父親は別の売り場に行った。ときどき彼女のことを考える。お母さんはいったいどこにいるのかなと。
●母親が亡くなってすぐの頃、私は行きつけのバーで飲んでいた。その晩もつらい夜で、外に出て歩道に座り煙草を吸っていた。すると60〜65歳くらいの年配の紳士が私の横に座って、「君は私の娘を思い出させる」と言った。そして私の気分がよくなるように力になりたいと言った。その人と1時間くらい話をした。母親のこと、人生のこと、大学を中退したこと、母親が亡くなったことに対処しきれず、すべてのコントロールを失っていたことなど。彼は今までにないほど役立つアドバイスをくれて、自分がそのうち大丈夫になると思わせてくれた。彼はバーが閉まって友達が自分を迎えに来るまでそこにいてくれて、彼に大きなハグをして感謝をした。それ以来彼を見たことはなく、どうやって探せばいいのかもわからないけれど、今でも全く知らない人が自分の人生に与えたインパクトについて、彼のことをよく考える。
●学生の頃、自分が壊れてしまった日があった。
恋愛はぐちゃぐちゃ、クラスも全く楽しくなくて、僕は進路の選択も失敗したと感じていた。手術が必要な健康上の問題もあるのに手術費用もなかった。ルームメイトは自分に出ていって欲しそうにそのことを示唆し、家族とのトラブル、友人関係のトラブル、それでも彼女の前では弱い自分を見せたくなかったので平気なふりをした。
ところが授業に出席するために歩いている途中、すべてが崩壊した。ストレスをため込んで、流したことのない痛みでいっぱいの涙にのまれて倒れそうになった。どうにかそこにいるというだけだった。すべてをあきらめ切って、自殺にもっとも近い日がその日だった。
ようやく何とか立ち上がって、バス停へ向かい始めた。その途中で車が停まり助手席から女性が下りてきた。40代か50代の大柄の黒人女性だった。彼女は「ずっと見てたんだけど、あなた大丈夫?」と尋ねてきた。涙がこみあげてくるのがわかった。すると彼女は僕に大きくハグをした。もう完全に彼女の腕に体をゆだねた。そして彼女も泣き出した。僕の痛みが感じられると言った。僕が必要なだけそこにいてくれると言ってくれた。
彼女の名前はミシェルと言った。ミシェルとその友達は道路の脇から僕を見ていたらしく、通り過ぎたあと心配になって戻ってきたそうだ。僕は信心深くないが彼女は天使に見えた。その後の関係もうまくいき、手術も成功した。家の問題もなくなって、卒業することができた。ミシェル、どこにいるか知らないけどありがとう。
●22歳のとき、精神を病んだルームメイトに何度も刺された。逃げだして助けを求めて叫んだ。すると通りのレストランにいた医師が叫び声を聞きつけて、傷口に指を突っ込んで切断された動脈をつまんで止血してくれた。そのまま救急車に一緒に乗り、病院まで一緒に来て自分の命を救ってくれた。次の朝に目が覚めたら麻酔でボーっとしていて外科医にいろいろ施されていた。誰も彼のことは知らず、どうやって連絡を取ったらいいのかもわからず、それ以来2度と会ったことがないが、彼にきちんとお礼が言いたくてたまらない。
●子供の頃、ハロウィンの日に「トリック・オア ・トリート」(お菓子をくれなきゃ、いたずらするぞ) をしに行ったときのこと。
他人の家の玄関から玄関へ、たくさんのキャンディやお菓子をもらって歩いた。ある家の玄関ベルを鳴らして、しばらく待ったけれど誰も出てこなかった。きっともうお菓子がなくなっちゃったんだなと思って家から離れようとするときに、とても弱々しい声で「待って…行かないで……」と聞こえた。振り向くとボウルにいっぱいのお菓子を入れたおばあさんが立っていた。少し動くのも大変なようで、出てくるのに時間がかかったのはそのためだとわかった。まるでそのおばあさんから菓子をもらってくれる子供は自分だけだったかのように、彼女の声は物哀しかった。
●セルフサービスのコーヒー店のカウンターで、砂糖やカップのフタをとっていた。すると小さな男の子(4歳くらい?)が隣にやってきた。父親は手がふさがっていて男の子は手が届かなかったので、カップのフタを渡してあげた。明るい茶色の帽子を褒めてあげたら、その子も気に入ってると言った。支払い済ませて行ってしまう前に、その子は抽選券のようなチケットをポケットから取り出し、1枚ちぎって私にくれた。何のチケットかを尋ねると「友情のしるし」と言った。今、そのチケットを財布に入れて持ち歩いている。彼はどうしているのかなと時々思う。チケットを全部あげることは出来たのかなと。
●フロリダで会った子供が、公園の雲梯(うんてい)の前で怖がっていた。そこで自分が、「簡単だよ、見ててごらん」と言って挑んだらすべって落ちて、腕を骨折した。
どこかに自分と同じくらいの年齢で雲梯(うんてい)に近づかない人がいたら、オレのせいだ。
●最悪の日に、歩いて家に帰ろうとしたら雨が降ってきた。そこでくじけて通りで泣き出してしまった。すると車が横に停まり、小さな女の子が下りてきてマクドナルドのおもちゃをくれ、ハグをして大丈夫だからと言って、また車に戻っていった。お姉ちゃんが車に乗っていたのだと思う。彼女は人類に希望をくれた。
見知らぬストレンジャーのちょっとした行為が、ひとりの人生に多大な影響を与えることもあります。
その場限りだとしても、出会いは大切にしたいと思えるエピソードですね。