「昨日ハイジャックされたエチオピア航空の乗客だけど、何か質問ある?」…震えるほどの体験談
2月17日、エチオピア航空のアディスアベバ発ローマ行きの便がハイジャックされ、ジュネーブ空港に緊急着陸する事件が起きました。
ハイジャック犯の副操縦士はすでに逮捕されており、乗員乗客202人にケガはありませんでしたが、翌日その1人が海外掲示板に登場。
「ニュースで発表されているものとは違うので、聞きたいことがあればどうぞ」
と質問を受け付けていました。
事件当日の17日の海外の報道では、
・ハイジャック犯は1983年エチオピア生まれの副操縦士。目的はスイスへの亡命で、乗客はハイジャックされたことに気付いていなかった。
・機長がトイレに行ったすきにコックピットを施錠して、入れなくした上で航路をスイスに変え、亡命を希望した。
・ジュネーブ(スイス)に降り立った数分後に、副操縦士はコックピットからロープで降りてきてハイジャック犯であることを名乗り、そのままスイスの警察に連行・逮捕された。
・エチオピア航空はエチオピア政府の管理下にあり、政府に異議を唱える者への人権問題などで批判を受けている。
……と言った内容です。
たまたまその便に乗り合わせていた25歳の男性が、証拠として荷物のタグ写真を添えて、体験談および質問を受け付けていました。
男性の体験談は以下の通り。
飛行機は離陸から1時間後くらいでハイジャックされた。自分の席はエコノミークラスで、右翼側の窓側。
すでに夜中だったので、離陸してすぐに眠りについたが、1時間後にいきなり酸素マスクが下がってきて、その音で目が覚めた。
「いったい何事!?」
近くの女性を見ると同じくらい混乱していた。飛行機はとくに変な動きはなかったので、「小さな技術的な問題かな」とか、「誰かが間違ってボタンを押してしまったのかな」と思っていた。
乗客が互いに顔を見合せていると、機内放送が流れてきた。とても低い怒った声で「すぐに座ってマスクをつけろ。酸素を切る」と3回。ようやく状況が深刻なことに気づいた。操縦室にいる何者かによって、飛行機はハイジャックされたのだ。
数秒後には酸素が低下してきた。急にぼーっとしてきたので、他の乗客たちがするように酸素マスクを装着した。その後8秒くらい飛行機は急激に高度を下げ、また上げ、その後ようやく安定した。
人々は泣いたり、叫んだり、祈っていた。自分も完全にパニック状態で、ただ凍り付いていた。
次の情報を待った。いったい何が起こっているのか。しかし何も来なかった。飛行がそのまま6時間続いた。その間はハイジャック犯の自由になっていることだけが分かっていた。
いったい誰なのか? いったい目的は何なのか?
おそらく犯行は1人。きっと空港への着陸は計画出来ていないのだろう。安全に着陸する可能性は捨てるべきだ。窓の外を見ると暗く、上を見ても下を見ても真っ暗だった。その6時間は考えうる全てのシナリオを想像した。海への不時着、建物への突入、他の飛行機との衝突、そして着陸後に殺されることまで。
この時点で、メールを家族や彼女に送ろうとしたことを覚えている。バッテリー残量はたった5%。もし他のテロリストに見つかったら撃たれるかもしれないストレスを感じながら、「飛行機でトラブルがあった。 I love you. You are the best.」と打った。
ネット回線に接続していなかったので電源を切り、墜落前に起動することにした。どこかでメッセージがどうにか送信できないかと期待しつつ。
隣に座っていた親切なイタリアの年配女性とずっと手をつないでいた。先の見えない死だけが近いその6時間は精神的な拷問のようで、自分はおかしくなっていた。捨て鉢になり、さよならを告げ、家族のことを思い、過去のことを思い出し、誰が自分の物を相続するのかなど、とにかくいろいろなことが心を巡った。
本来の目的地ローマには早朝4時40分に着く予定だった。5時30分の時点でまだ高度は高く、下を見ると遠くに海岸とその光が見えた。それが少し自分を安心させた。5時45分に飛行機が円を描き始めた。左にそして右に、それが20回くらい続いたように思う。
ハイジャック犯が燃料切れを起こして飛行機を停止させようとしているのだと思った。高度は高いままだ。少しも陸地に向かう気配はない。その長い連続ターンの後、普通のスピードで高度が下がり始めた。
雲に突入したとき、正常な着陸の時のように翼を広げていたけれど、きっとダメージが大きくなるように面積を大きくしているのだと疑った。きっとそうに違いない、これから何かに向かって墜落するんだ。
窓からは光が2つ3つ見えてきたけど、まだ暗くて行く手は見えなかった。スピードは速いまま、いくつもの家の上を飛び越えた。すると突然、下に空港が見えた。
この瞬間のことを考えると震える。自分たちは着陸するんだ。これは現実なのか? 奇跡なのか? ついに飛行機は着陸し、完全に止まった。ターミナルからかなり遠いところで。
自分は泣いていた。ほとんどの人(イタリア人)は歓声をあげていた。
この6時間で初めて、乗務員から副操縦士についての情報が入り、現在ジュネーブにいることを伝えられ、その後スイス警察がやってきて飛行機から我々を脱出させると言った。スイス軍が機内に入ってきて、私たちに手を頭の後ろにやるよう伝えてきた。一人脱出させるのに2〜3分ずつかかった。1時間後にようやく自分も出られた。
検査を受け、とても親切なスイス人に連れられた。サンドイッチ、ココア、無料のWifiやカウンセラーが用意されていた。数時間後には荷物を取り出し、通常のゲートから出ると母親がいた。湖の近くを散歩して、母の手料理を食べさせてくれた。
心理的に受けたインパクトは無視できないほどで、いまだにショック状態だ。そして幸運だ。誰もこんな体験はしなくて済むといいと思う。
ニュースではなかなか伝わってこない、その場にいた人だからこその臨場感と恐怖が伝わってきます。
以下はQ&A。
Q: 特にニュースと違うというところがあるとしたら、どんなこと? 我々はニュースで情報を知るけど、必ず事実と違うところがある。
A: ニュースには「ハイジャックされたことを乗客は知らなかった」とあったが、みんな知っていたよ。それが最悪だったね。
Q: 乗務員以外の全乗客が解放されたのかい?
A: スイス人たちが入ってきて、まずビジネスクラスの解放、それから乗務員、それからエコノミークラスの解放だった。解放されるというのは、手を上げて、スイス警察に外で検査されることを意味する。
Q: ハイジャックのときも、ビジネスクラスが優先なの?
A: その通り。彼らは特別なチームにエスコートされていたよ。家に帰るのも早くなるようにだ。
Q: その間、乗務員はどうしているんだい? サービスは通常通りあるのかな? 情報は流れてくるの?
A: 乗務員は安心させようとしていたよ。ドリンクを時々提供していた。ただほとんどは固まってエチオピア語でしゃべっていた。途中、一人に近づいて何が起こっているのか尋ねたら、「機長が乗務員とのコミュニケーションを完全にカットしてしまったのでわからない、でも着陸はする」と答えた。自分は信じなかった。
Q: 隣に座ったイタリア人と、また連絡をとるつもりでいる? 全く知らない人と死の準備をして、そしてまたサバイバルをする体験は、とても深いものだと思うし、きっと心情的な個人のつながりがあるのではないかと思った。
A: 連絡先を交換し合ったし、今晩にでも書こうと思っている。
Q: ハイジャック犯は、他に放送はしたのかい?
A: 最初の1度きりで、その後はなかった。
Q: トイレとか、そうした自由はあったのかい?
A: 自由に動き回ることは出来た。ガードなどがいる様子もなかった。
Q: 今日はあなたにとって最良の日ですか?
A: いい質問だね。まだ自分の頭は、あの飛行機に乗っている。
Q: 誰かが操縦室のハイジャック犯を止めようと計画したり、話し合いをしている様子はありましたか?
A: よくわからない。自分も何度か考えたが凍り付いていた。
Q: ハイジャック犯は見たかい?
A: 見ていない。彼はそこから一度も出てこなかったから。
Q: このことで航空会社から、慰謝料や謝罪などを受けると思いますか?
A: 明日にでも航空会社に電話してみるよ。
Q: トラウマになったことについては、自国の政府から何かありますか?
A: スイスの精神科医が、チェックのために今晩電話してきてくれる。
Q: 他の乗客の様子はどうでしたか? ほとんどが精神的に参ってしまいそうですが、目の当りにした最悪だったケースはどんなもの?
A: 95%の乗客がイタリア人で、彼らはほとんど英語が話せなくて、それぞれで話していた。完全に壊れてしまう人はおらず、みんな祈ってるか歌っているかしていた。
Q: ハイジャックが終わるように、どんなことをされていたかわかりますか?
A: 外から善良なパイロットが、延々と交渉を続けていたそうだ。
Q: 母親はたまたまジュネーブにいたの?
A: 自分の最終目的地がジュネーブで、母親もたまたま友人を訪ねて近くの町に来ていた。
現在、ハイジャック犯について調査が進められている最中で、詳しい発表はこれからのようです。
ハイジャックを体験したばかりの乗客と、その翌日に直接質問をかわせると言うのは時代を感じます。
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