実はこんなに型破り…「ビル・ゲイツ」にまつわるクレイジーな10のエピソード
マイクロソフト社の創業者であり、世界トップの資産家であり、財産のほとんどを寄付する慈善活動家としても知られるなど、いろんな意味においてビッグな人物、ビル・ゲイツ氏。
よく比較されるアップルの創業者スティーブ・ジョブズ氏の型破りなイメージに比べると、物静かで実直なイメージだと思われることが多いかもしれません。
しかしながら、そこはやはり普通の人とは大きく違うようで、若いころは強烈なエピソードがたくさんあるとのことです。
マイクロソフト社の共同創始者であり、友人であるポール・アレン氏が語った、「ビル・ゲイツにまつわる10のクレイジーなエピソード」をご紹介します。
エピソード1
●高校時代、ダンプスター(金属製の大型ゴミ収集箱)に潜り込んでプログラムのソースコードを探した。
当時2人はプログラミングのスキルを地元の会社で学んでいたが、学生だった彼らは社員に比べて情報へのアクセスは限定的で、夜な夜なアレンは小さなゲイツを持ち上げて会社のダンプスターへ放り込み、いろんな秘密のロックを解除する興味深いソースなどを入手していた。
エピソード2
●ゲイツとアレンのふたりは、無料のコンピューターの使用時間を得るために会社のアカウントファイルにハッキングしていた。
2人が高校で借りていたコンピューター使用時間の支払いがたまっていったので、管理者権限のパスワードを入手した上、内部の会計ファイルにアクセスしてファイルを解読しようとしたが、そのことが発覚して追い出された。
エピソード3
●女の子ばかりの英語の授業に入れるように、高校の授業のスケジュールをプログラムした。
夏の短期バイトで授業のスケジュールをプログラムしたが、自分を女の子ばかりのクラスに入るように仕向けた。
エピソード4
●骨折した足でウォータースキーに行った。
ゲイツは高3のとき、アレンとプログラミングのバイトをしていて、同じアパートに共同で住んでいた。ある日ゲイツは石膏で固めた足で帰ってきて、ウォータースキーで骨折したと説明。シアトルに戻って6週間安静にしなければいけないと言われたが、3週間後に石膏をはずして黒く青くなった足でウォータースキーをしていた。アレンは彼の足はなんとか持ったと語っている。
エピソード5
●ローストチキンをスプーンで食べた。
ゲイツは社会的なマナーに対してあまり忍耐力がなく、一度アレンの彼女のリタがローストチキンを料理したところ、それすべてをスプーンで食べたという。
エピソード6
●ハーバード大学のポーカーで何千ドル(何十万円)も負けた。
ゲイツは、大学寮の夜のポーカーのレギュラー参加者で、ひと晩で何百ドルも買ったり負けたりした。それが積み重なって何千ドルにもなったが、ポーカーでは覚えたハッタリが後に役に立ったとのこと。
エピソード7
●ゲイツは夜遅くまで起きて仕事をしているのが好きだった。あまり寝ないで仕事を長時間するため、そのままオフィスで寝ることもあった。
新しい秘書が月曜日にやってくると床に大の字になって寝ているゲイツがいたこともあり、意識がないのかと心配された。週末に徹夜で仕事をして仮眠をとっていただけだった。
エピソード8
●ハロウィンパーティで、階段の手すりを胸板を使ってすべったことがある。
マイクロソフト社が成功し始めたことから、アレンはクレイジーなハロウィンパーティを家で開いた。そのときゲイツは助走して全力のスピードで手すりに胸を乗せてキッチンまですべり降りたそうで、それが理由で家を追い出された。
エピソード9
●運転がクレイジー。
マイクロソフト社の初期の頃、ゲイツはスピード違反チケットを何度も切られたことから、もっとも腕のいい交通専門の弁護士を雇っていた。ある日友達のポルシェ928を借りてスピンし、もうちょっとで廃車になるところだった。修理には1年かかった。
エピソード10
●サンフランシスコ国際空港のゲートでコントロールパネルを操作し、飛行機を差し戻そうとした。
1980年代前半、ゲイツとアレンは飛行機に乗り遅れ、飛行機が動き始めたときにゲイツは搭乗口の横にあったコントロールパネルに走り、飛行機を戻したい一心でボタンを押し始めた。そのときアレンはゲイツが逮捕されると思ったそうですが、実際は航空会社の職員が電話して飛行機は戻ってきた。
以上、10のエピソードでした。さすが大物だけあって、若いころは型破りなエピソードがてんこ盛りですね。