「あなたの親が作った独自ルールに、どんなものがあった?」今思えば納得できないルールいろいろ
各家庭にはそれぞれのルールがあります。
厳しいおうちだったり、過保護すぎたりと、差がありますが、大人になってから振り返ると「あれは奇妙なルールだった」と思うことの1つや2つはあるかと思います。
海外掲示板に寄せられていた、家庭の独自ルールをご紹介します。
●ドライブ中は窓を開けてはいけない。そうしないと顔が麻痺する。あるいは扇風機を長い間体の1つの場所に当ててはいけない。でないと神経を痛めるか、顔の筋肉が麻痺すると言われていた。
●友達の家にお泊りするのを許してくれなかった。理由は「家にちゃんと自分のベッドがあるでしょ?」だった。
過保護? そうかもしれないが、うちの両親は友達の両親と会う努力もしなかった。
↑もしかしたら夜に恥ずかしい音をいっぱい出すのかもしれないぞ。
●高校1年生になるまで、自分が住んでいる通りから外に出してもらえなかった。もし違う通りにいようものなら、おしり叩きの罰を受けた。
↑「痛い目に遭ったかもしれないでしょ。その痛い目に遭うかもしれないリスクを冒したことで打つわ」
●父親から、夕食のあとはトイレの大のほうを禁止されていた。父親が寝静まるまで、あるいは夜中まで待たなくちゃいけなかった。彼が言うには食べたあとすぐ排泄したら食事を無駄にしているとのこと。つまり彼はバカだった。
●テレビゲームの攻略法を見ることが許されてなかった。いつも難しい方法で打ち勝たなくてはいけなかった。
●うちの両親は、1年に1回だけ、理由もなく学校を休んでいいというルールを作ってくれた。
●3年くらい、父親と一緒にいるときは音楽を聴かせてくれなかった。母と父は結婚していなかったので、月に2度ほど父親を訪ねていた。いつ訪ねても、音楽を聴いてはいけなかった。ヘッドフォンだろうとステレオだろうと車であろうと、どこでもだめだった。ちなみに自分は音楽が大好きで、毎日1日中聴いているタイプ。
何が奇妙だったかというと、父親自体は音楽を好きだったこと。ギターも2本持っていてよく弾いていた。レコーディングしたアルバムも持っていた。なのに自分が訪ねていくと、「母親のところで十分音楽を聴いているだろう。なのでここにいる間は聴かなくてよい」と言った。
大人になったので最近になってから理由を聞いてみた。すると彼は「そんなことを言った覚えはない」と言う。いろんなバンドに連れていっただろうと言う。僕は、そういうこともあったが、自分が10代の頃の3年ほど全く音楽を聴いちゃいけない時期があったと説明した。
すると僕をじっと見つめて、「そんなことをした覚えがない。だがお前が10代の頃、ちょっと自分の頭がおかしい時があったんだ。なので八つ当たりをしたことを謝るよ」と言われた。
●「スクービードゥー」(アニメ番組)を見せてくれなかった。オカルトを称えているからという理由だった。
●食事のときに、一切飲み物を飲んではいけないというルールがあった。炭酸飲料はもちろん普通の水さえもダメだった。
理由はわからない。今理由を聞くと「そんなことはなかった」とか言う。あるいは自分の記憶があやしいのかもしれないが、姉は確実に覚えている。
●ルールというより、罰として与えられたことがあるんだが、本を読んではいけないという罰だった。
●うちの近所の子供だが、絶対に夜の8時には部屋にいないといけないというルールだった。ただし夜更かししようが、徹夜しようが、とにかく部屋にさえいればよい。
●アイスクリームのトラック販売からアイスクリームを買うのを許されていなかった。健康に悪いと恐れてたのかな?
●家ではインターネットは無し。そうでないと「殺人者が利用して私たちを殺すから」らしい。きっと支払いをしたくなかっただけなのだと思うけど、そういう言い訳を使っていた。
●プラスチックを家具に置く。家中が誰も座れない家具でいっぱいだった。
●家の片側のブラインドを常に閉めていた。理由は両親が貧困でテレビの受信料を払えなかったからだが、一番変な記憶はドアのベルが鳴ったとき、父親が這いつくばって、みんなに腰を低くしろと言った。受信料の請求だからだと言った。
●ポケモンで遊ばせてくれなかった。なぜかというとそれは進化論を肯定することになるからだった。
●猫がくしゃみするところを見たら、1週間はデザートなし。
ルールそのものは奇妙でも親心が見えるものもあれば、勝手な都合や無知からきているものもあるようです。
子供としては、納得できるだけの理由がほしいものですね。
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