自然音から曲を紡ぐ鬼才 清川進也に突撃取材…話題のあの動画に隠された想像を絶する苦悩とこだわり
大分の県の魅力を、
たった2分の動画
にありったけ詰め込む。
そんな無理難題に、カンヌで賞を総なめにした清川進也氏が取り組み、動画が公開されたところ、予想を遥かに上回る驚異的な作品に、ネットで大きな話題となっています。
これほどの動画を作るのに、どれだけの苦労と手間がかかっているのか…?制作した清川進也氏にインタビューしてみると、裏には壮絶な制作秘話が隠されていました。
【おんせん県】Orchestration Of Oita / シンフロ「ご当地サウンド」篇 フルバージョン SHINFURO Sound Full
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話題となった映像がこちら。
この動画は大分県のプロモーションで制作されたもので、滝廉太郎の『花』を、大分県の魅力と音だけで奏でるという作品なのですが…見てみるとなにしろ驚かされるのが、怒涛のごとく押し寄せる、1秒にも満たない膨大な音と映像の数々。
なんとこの作品の音と映像は、すべて大分県で収録されたもの。しかも音階を変える加工に頼らずに、これだけの音楽を仕立てているというのですから驚きです。
こんな途方もない作品は、どんな人物がどうやって作っているのか…?この動画を制作した、音楽家・清川進也氏にじっくりとインタビューしてきました。
環境音で音楽を作るようになったきっかけ
「どうも初めまして、どうぞよろしくお願いします」
清川「よろしくお願いします」
「清川さんは多くのCMの楽曲を手掛けられているそうですが、何がきっかけでこうした自然音や環境音を元に曲に作るスタイルが誕生したんですか?」
清川「2012年ごろからぽつぽつとやりだしたのですが、まずは『
ヒトの叫び声
』。あとは『
水
』ですね。この辺りが僕の原点です。」
清川「幾つかの環境音から音楽を作るという試み経て、自分の制作スタイルが確立していきました。それから『 Crisp Concert 』や『 Swimmin'Jazz 』などの作品へと発展していきました」
「カンヌで広告賞を総なめにした、『 森の木琴 』はその前の作品ですよね?てっきりあの作品がルーツかと思っていました」
清川「あれはルーツでもありお手本でもありますね。ひとつの音素材に特化して音楽を作る上では今でも『森の木琴』から着想を得ることが多いわけですが、あの作品から僕が得たものは『無駄を削ぐ』ということなんじゃないかと思っています」
清川「作り手は一つの作品に対してより多くの要素を盛り込みたくなるものですよね、より多くのことを伝えようとして。でもそれって時にはtoo
muchなんですよね。音楽も映像もそう。時には大胆に切り捨てる勇気も必要で、『森の木琴』は表現の場においてシンプルであることの大切さを今でも僕に教えてくれてます」
選んでもらうはずだった提案が全て採用…地獄と化した収録スケジュール
「今回の作品は、アイデア出しから携わっているんですか?」
清川「いつもは2つパターンがあって、こういう音楽を作りたいと指定される場合と、僕から提案する場合があります。今回の作品は後者ですね。大分でシンフロという動画を作ると。ただし音楽は大分県産である必要があって、その音楽はどう表現するのがいいんだろうかという問題を投げかけられたのが最初でした」
「今回の作品は、どんな風に提案したんですか?作品のイメージがしにくいと思うんですが…」
清川「今回のクライアントは大分県庁だったんですが、まず最初にこれだけの音を録りたいというのをプレゼンしました。大分の名産特産の音だけで音楽を作る、その音楽はこういう音達で構成されますというのを1枚のA3の資料にテキストだけ書いて出したんです。実際に出したのがこれなんですが、駅前でカップルが出会った時の話声とか、から揚げを揚げる音とか…」
「凄い量ですね…」
清川「この時はあまり大分県のことを知らなかったので、Webで調べてこういうのがいけるんじゃないか、とにかくたくさん書いておいた方が、皆さんイメージしやすいだろうなと思って出したんですけど…」
清川「この中の20個ぐらいを使ったらいけるんじゃないかと思っていたら、翌々日ぐらいに、スケジュールがExcelで送られてきて、横に住所を書く欄があって、あれ…?と思っていたら、それ全部お願いしますと言われちゃった(笑)」
「一大事じゃないですか(笑)」
清川「本当にびっくりして、それから地獄が始まっちゃった。とは言え、ある種の覚悟はありました。大分の音をどこまでとって作品として昇華させられるかというのが僕に課せられたオーダーだったのもあるし、いつもこういうことをやる時に心配になるんですけど、地域でやるという話になった時に、ある地域だけ使われていなかったりするとその地域の人が見た時にすごいさびしい気持ちになるんじゃないかなと。なので市町村は全部やっちゃう覚悟はありました」
「実際にはこれ、何割くらい回られたんですか?」
清川「ほとんど行きました」
「すごい…収録にどれだけかかったんですか?」
清川「撮影だけでもトータルで20日分ぐらいはやったかな」
「1日8時間の20日ですか?」
清川「いや、24時間です」
「それは世間一般では60日相当ですよ!」
清川「いやホントやばいんですよ。4か月の間、東京と大分を時間ができたら常に行き来するという状況で、もはやどれぐらいの日数かかったかすら覚えていなくて。昔『電波少年』という番組がありましたよね、あんなノリ(笑)
特に収録終盤は素材の取れ高が足りなかったこともあり、ひとりで大分の歓楽街をマイクとカメラ持ってうろついていました(笑)怪しすぎますよね」
清川「あてがあるわけでもなくて仕方がないので色々な飲食店に僕一人で行って、『今、音探してるんですよー』と大将と話したり」
「え?撮影も交渉も清川さんが全部行ってるんですか?」
清川「そういう時もありましたね、いわゆるナンパですよ」
「てっきりチームに分かれて手分けしてるのかと思ってました」
清川「これぜひ書いて欲しいんですけど、1チーム3人だけでずっと回ってました。僕はマイクとカメラ3台持って」
「その体制であれだけのシーンを撮ってるってすごいですね…」
清川「やばいですよ」
音は決して加工しない…自然音へのこだわり
「音階となる色々な音を収録されたと思うんですが、ドの音が欲しいとかシの音が欲しいとかいう時はどうしてるんですか。例えばから揚げを揚げる音が、必ずしもシの音を出してくれるわけではないですよね」
清川「いい質問ですね。今回、滝廉太郎の『花』を演奏するということだけは決まっていたんですが、撮影中はどの音程になるかというのはわからなくて、とにかくたくさん撮っていくんです。録っては『この音になるんじゃないかな』と試行錯誤の繰り返し。最初の頃は漠然としているので、並べてみて『なんか違うなー、じゃあこう並べてみるか』とか、『今日はとれ方があまりよくなかったなー明日がんばろう』みたいなことをずっとやっていました」
「絶対音感でその場で音階がわかったりしないんですか?」
清川「僕には絶対音感がないので、録ってる最中にその音が欲しい音程かどうかというのはわからないんですよ。ただその代わりに相対的に音を判断する能力があって、ある音を基準として別の音との音程差は把握できるんですよ」
「相対音感というのは初めて聞きました」
清川「今回のような作品づくりは、絶対音感を持つ人にはなかなか難しいんじゃないかなぁ。環境音すべてが音階として聞こえるわけでしょ?まともにやろうとすると発狂しちゃいますよね(笑)」
「そういえば清川さんは音程を変更するような加工はしないと言われていましたが、なかなか狙った音が拾えない時は、妥協して加工したりはしないんですか?」
清川「やらないように心がけています。それはある種の違和感を生み出すものとして考えるようにしていて、『口パクのボーカル』に似ていますね。それがいけないというわけではなく、本当に歌っている『リアリティー』は、肩や胸の動きとかと連動しているんですね。それは音楽のことを深く気にかけていな人たちにも何らかの違和感として根付くものだと思っています。特に今回の作品においてのピッチの加工はそんな『ひずみ要素』なんですね」
「普通に録音すると環境のノイズまで入っちゃうと思うんですが、その辺は処理したりしないんですか?」
清川「ノイズリダクション的なことですね。基本は録音している最中にクリアできるようにしています。なのでマイク選びがとても重要になってきます」
「それまた大変ですね」
清川「ノイズリダクションを使うとリアリティのある音が消えてしまう。たとえば電車が走り抜ける音には、その音と実はその周りでうっすらと別の音、並走して道路があったら車の走る音などがあって、一聴すると雑音と捉えがちな音にはその空間を再現するための大事な要素が備わっている思っています」
「いわゆる空気感というものでしょうか」
清川「空気感でしょうね、その時その場所にしか存在しなかった音の証みたいなものを大切にしたいと思っています」
「ナチュラルといえば、エフェクトやフェードもほとんど使ってないですよね」
清川「僕は映像編集の技術という意味では無骨でいたいんですね。それは音楽があるからと思う。音楽が成立している時の映像は無骨でもいいだろうし、映像の繋がりに意味をもたせる場合は逆に音楽は無骨でも構わなないと思っています」
「あくまで素材を活かし、いじるのは最小限なんですね。そうすると、許される加工はゲイン(音量)調整くらいですか?」
清川「そうですね、環境音というものはノイズ成分が強いものです。折り重なると基本は打ち消し合います。なので、音量調整と定位(パン)バランスにはとくにこだわりを持っていて聞いてもらいたい音への配慮を徹底しています」
「それはスマホのモノラルスピーカーで聴くのはもったいないですね」
清川「そうなんですよ!ヘッドホン推奨なんですけどね、ほんとは。でもみなさんスマホのスピーカーから直で聴かれるので、最後のチューニングはいつもスマホで聴きながらチューニングしています。スマホのスピーカーは低音成分が弱いので、低音成分の多い街のノイズとか雑踏とかは低音を強調しています。ヘッドホンで聴くと、かなり重低音が出てるように感じるのではないでしょうか」
「繊細で緻密な調整をしているんですね」
清川「繊細にはやりますね。そういうのがクオリティに直結していると思いますし」
「あらゆる再生環境を考慮するのは大変じゃないですか?」
清川「頭の痛い問題ですね。いまだにモノラルで聴かれる方もいらっしゃいますし、ハイレゾ・マルチ音響の方もいらっしゃるので」
1秒足らずのカットにかけた膨大な時間
「ところで作品を見て、馬が走るシーンで足音があまりにリズムがピッタリで驚いたんですが、これは音楽に合わせて音を再配置しているんですか?」
清川「あれは同録素材です。タイミングの調整もピッチも変えていません」
「ええ!?あんな曲にピッタリに録れるものなんですか?」
清川「何十テイク撮ったかなぁ。あれは久住高原という大分の中でも雄大な自然がある山の中なんですが、親子で乗馬ハウスを経営されている方に、どんどん早く、だんだん遅くなど、色々な走り方をひたすら繰り返してもらったんです。その中から、テンポがピッタリ合った部分を探しだして使っているんです」
「動画の中じゃ1秒前後の短いカットなのに、収録にかかった時間は…」
清川「何百倍なんてものじゃないですね。でも自然音であることにはこだわりたいので、そこはしっかりと手間をかけています」
「すごい…」
「あと、公園みたいなところで女性がグランドピアノを弾いているところを通り過ぎていくシーン。あれはわざわざあそこにピアノを運んで収録したんですか?」
清川「これもナイスな質問ですね。実は今回の作品の中で、音が鳴ってない個所が1カ所だけあるんです。それがあのピアノなんですね。あれは実は本物のピアノじゃないんですよ。ロケハンに行った時に僕も目を疑ったんですが、道路脇にピアノが置いてあって、『あれメンテナンス大丈夫なんですか』って聞いたら、『あれは実はオブジェなんです』と。あそこは大分県竹田市の岡城址という城跡で、滝廉太郎ゆかりの地という事でピアノのオブジェを置いたそうなんですが、訪れた人がみんな写真を撮るそうなんですよ。それから撮影をすすめていく間もずっとそのピアノのことが気になっていて、あのピアノが鳴ったらロマンチックだろうなーと思って、結局本物のピアニストに、ピアノのオブジェの中にスピーカーを入れて、滝廉太郎の『花』を運指もあわせて弾いてもらいました」
「また凄い手間をかけてるんですね。音源はその方が実際に弾かれたものなんですか?」
清川「その音源は僕が弾きました。今回はこんなテンポだからということで、それを聞いてもらいながら譜面もお渡ししてちゃんと弾いてくださいと。地元の人からしたら、あのピアノが鳴ってるというのは、驚きであり、ロマンチックだと思うんです。なので本物のピアニストの方にやってもらって、あのピアノが鳴ってるかのように見せたかった」
「あんな短いシーンに、そんなに深いエピソードがあったんですね…」
主役は、大分の『人』
清川「今回の作品で一番大事にしたことなんですけど、あたりまえですが結局これ、一人では作れないわけじゃないですか。色々な人やタイミングとが複雑に関与してできた作品で、この一要素でも欠けていたら完成しなかったはずなんですね。この『花』という曲の作曲者は滝廉太郎ですが、演奏者は『大分の人たち』という作品にしたかった。僕はあくまでその場で鳴ってるいつも聞こえている音を指揮者的立場で組み立てたに過ぎない」
「確かに多くのカットで、名所もそうですが特に『人』が立ってますよね」
清川「大分の音を鳴らしてくれる人も教えてくれる人も、全部大分の『人』なんですね。たまたま入ったお寿司屋さんの大将に投げキッスをやってくれるクラブのママを紹介してもらったり、とにかく『人』に助けられた。製作を通じて、一番印象に残っているのは『大分の人の人情に触れたこと』です」
大分出身の人の心にも深く響いた…公開後の反響
清川「嬉しいのが、ツイッターとかの反響を見ていると、『大分へ帰りたくなった』とか、あとカンニングの竹山さんが『やべぇ大分に行きたくなってきた』とか呟いていたのが素直に嬉しかったです。『なんだか泣けてきた』というような声もあって、泣かすつもりはないけどと思いつつも、嬉しかったですね」
「大分に行きたいって言う人がいっぱい出てきたと、クライアントが望んでいたことをまさに実現したってことですね」
清川「そうなんですよ。僕の知らないところで広告としての目的をも果たしというか、あまりそういうことは意識しないんですが、がむしゃらにやった甲斐がありましたね」
「結局自分が地元の人間なんじゃないかと思うぐらいまで深く深く入り込んでやった結果、地元出身の人が見て懐かしくなるクオリティに仕上がったんですね」
清川「そう思っていただけているのがほんとに嬉しい」
「よそ者が作ると『わかってねーなー』なんて言われたりすることもあるだけに、地元の人がグッと来るまでに昇華できたって凄いことですよね」
清川「僕は福岡の片田舎で育ったんです。だからこそわかる都会と地方都市の価値観の温度差みたいなものがあると思うんですね。田舎ではごくごく当たり前だった建物や景色が、都会の人からするとすごくありがたいものだったりという、視点を切り返すことにより生まれる価値みたいなものがあるじゃないですか。よそもんの僕と大分県の人たちの間にもそういう温度差というものが存在したと思うんです」
清川「僕が見る『大分のココが素晴らしいな』というものと、大分の人たちがそれは全然当たり前だよというものが、今回はうまく連携プレーがとれたというか、その一つが人情と思うんですね。大分の人はあまり考えてないんですよ。人が来たら優しく接しますとか気軽に飲みに行きますとかみたいなことは県民性とか気質の話だから意識している訳じゃない。でも僕はよそもんだからそこに反応しちゃったわけで、今でもそのお寿司屋さんの大将とは飲みに行きますよ(笑)」
「なるほど。しかし作品を作るのはアーティストやクリエイターとしての才能だけかと思っていましたが、素材にたどり着くための人間性も必要なんですね」
清川「人間性でしょうね。決して僕の人間性がどうのという訳ではなくて、根っからの寂しがり屋なんですね。いつもそうで、作品に手間をかけるというのも結局はその作品作りを終わらせるのが寂しいんですよ」
両親の音楽に逆らい続けた子供時代…両親の反応は
「ところで清川さんって、子供の頃から音楽をやっていたんですか?」
清川「僕の父親は陸上自衛隊の音楽隊でトロンボーンを吹いていて、マーチングの構成とかをやっていました。母親は津軽三味線の先生。物心ついたころから音楽に恵まれた環境だったんですが、子供の頃、僕はそれがすごく嫌で。なぜかというと僕はとてもやんちゃな方で、小さい頃から体を動かすことが好きだったから、サッカーとか野球とかとにかくアクティブなことをやりたくて、おうちでピアノの音色とかが鳴っていたりするとこっぱずかしかった」
清川「音楽に興味を持ちだしたのは、今思えば親の影響だったと思うんですが…小学校5〜6年生ぐらいかな。家にあったアコースティックギターとかを弾きはじめるわけなんですけど、今度は自分で音楽的な自我が芽生えてくるんですよ。僕はこんな音楽が好きだという。それはやっぱり両親の音楽とことごとく対立していくわけですよ。なんか今思えば自分の音楽のルーツは常に反抗心があった」
「親と同じ音楽をしたくないという?」
清川「親と同じことをしたくないし、親がやっている音楽とは違うものでもっといいモノがあるんだということを親に伝えようとするんですね、僕も音楽を好きになって。それでも対立するということがずっと続いていた。そういう反発とか反抗とかいうものが僕の音楽性を作っていったような気がします」
「どんな音楽をやっていたんですか?」
清川「その頃はパンクロック。それは僕が両親に対しての音楽的な反抗期というか、三味線と吹奏楽に対しての僕なりにカッコイイと思う音楽はこれなんだ!と主張していました」
「親としてはどんな心境だったんでしょうね(笑)今やカンヌも受賞し広く評価されるようになって、ご両親はなんて言ってるんですか?」
清川「それが実は僕の両親は、早いうちに亡くなっていまして。…両親が見たらなんていうのかは聞いてみたいですね。まあ簡単には誉めないでしょうけど。僕が見ているような粗(あら)を指摘してくるんじゃないかなと、そんな気がします」
「そうだったんですね…。音楽をやっていたご両親にとって、こうして清川さんが自分のスタイルを確立して世界に評価されたのは、嬉しいんじゃないでしょうか」
清川「だといいですね」
これから目指すもの
「これからどんな作品を作って行きたいとか、目標はありますか」
清川「スポーツの音ですかねぇ、オリンピック控えてるし(笑)」
清川「横軸にも縦軸にも表現の可能性を追求して行きたいと思っています。大きなものから小さなものまで、僕の尺度でしか切り込めないし表現できないものがあるんじゃないかと。自己への探求ですね。音楽というのはいろんなものと結びつきやすくて可能性は無限大。様々な道具を用いて僕なりの尺度で創りだすエンターテイメントを追求したい。それがひとつの僕の目標かなと思っています。僕の中では環境音を音楽へ昇華する、このことはエンターテイメントを作り上げることと同義なんです」
清川「そしていつも音楽からはみだしたい、という気持ちを持っていたい。なんでもやって良いと思っています。ただし、表現方法とかそのベーシックにはに音楽作品を作る上で培った僕の表現力があって。そういう音楽の軸から飛び越えるということを、積極的にやりたいと思っています。体力が続く限り(笑)」
「楽しみですね!今日は長い時間を割いていただき、ありがとうございました」
たった2分の動画に、ぎっしりと詰め込まっていた、様々なストーリー、そしてこだわり。インタビューを通じて見えたのは、素材にこだわり、愛し、活かす、ただただ自分の作品作りに真摯に取り組み続ける清川進也氏の姿でした。
インパクトや話題性だけを狙った安易なコンテンツが溢れる現代、手間暇とこだわりをこれほどまでに注ぎ込んで作られる作品は、なかなかお目にかかれないもの。
広告を通じて、こうした価値ある作品が世に生まれ、多くの人に楽しい刺激が広がる…そんな誰もが楽しめるサイクルから、こうした新しいアートや文化が生まれてくるのかもしれませんね。
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