「精神科医に質問、患者の発言で『これは深い』と感じたものがあれば教えてください」回答いろいろ
精神にトラブルを抱えている患者は、一般とは違った物の見方をすることがあります。
海外掲示板に、
「精神病患者が発した言葉で、鋭い洞察力を感じたのはどんな内容でしたか?」と、精神科医や精神分析医に向けて質問の投稿がありました。
専門家たちの体験談をご紹介します。
●「練習するのに才能はいらない」
反抗期の10代で、スポーツが好きな青年だった。彼はスポーツ選手になりたかったが、得意ではなかった。彼のこのセリフは自分が新しいことにチャレンジするときに思い出す。
●統合失調症の患者から「どうしてこの薬を服用しないといけないのですか、服用中はとても心が空っぽなのです」
彼は妄想でいっぱいだった。神の生まれ代わりであるとか、ニルバーナに住んでいるとか。
●「自分はどちらをより恐れているかわからない。ある日、自殺する意志を持って目覚めることを恐れているのか、そうではないことを恐れているのか」
●不安症の患者がいて、自分の様子をこう説明していた。「まるでつまずいた瞬間のように感じ、自分を受け止めるのか、そうでないのかわからないままが1日が続く状態」
もしそういう状態を感じるなら、カウンセリングを受けるとよい。そんな状態で生活するのはハードだし、生活はもっとよくあるべきだから。それを信じていなくともね。
●リハビリ専門医だが、一度、患者がこう言ったことがある。
「地面は溶岩だと言う遊びと想像の友人たちがある日、統合失調症ということになったんだ。そうなる前が恋しい。」
悲しくなったよ。
●「ワシはいつもこうではなかったんだ。交通事故にあって、窓ガラスを突き抜けてしまったんだ」
これは60歳の精神病患者の言葉で、本人を反映する驚きの言葉だった。それまで彼の一番恐れることは狂ってしまうことだったが、そのときから一番恐れることは一瞬正気に戻って自分が狂っていることを自覚すること、となった。
↑似たような経験がある。キャンプ場で働いていたときにいた男性は身体的には健康だったが、14歳のときに事故に遭い、4〜5歳ほどの知性だった。ある日彼は石をくま手で引っかきながら急にこっちを向いてこう言った。「昔はみんなと同じようだったのに、でも事故があったから……」そうしてまた自分を見失って石を引っかいていた。かわいそうなディーン。今はどうしてるのかなと思う。
●不安症を抱えた患者がその生活を説明するのに、「どんな小さな決断も、まるで生死にかかわると想像してみて」と言ったこと。
●「自殺したいんだけど、死にたくないんだ」これは全く相反することなんだ。
↑自分の患者は「自殺したくないんだ。ただ自殺したくなる部分だけを殺したいんだ」だった。
●躁うつ病の患者に、自分のことをどう表現するかを尋ねたところ、「真実と美の利他主義的な恋人である」と。
もう一人の自分はどうその人のことを考えるかと尋ねると、「イヤなヤツかもしれない」と。
●薬による治療で、聞こえていた声の幻聴を取り除くことができた患者の言葉。「今は孤独です」と。
●「人食い調査官です。そんな仕事を持っているってクレイジーと思いません? 急に誰かのところへ行って、人を食べるのはやめなさいと言えると思います?」
彼女は統合失調症の患者で、子供にいたずらする者や人食いについて調査するFBI捜査官をしていると信じ込んでいた。それから双子の妹が彼女のアイデンティティを盗もうとしていると思っていた。1週間の治療後、まだ同じ妄想を抱いていた。ただしもうその心配はしていなかったが、自分の職業がいかにおかしいかについては気づいていた。
●「自分を幽霊のように感じる。幸せそうな人々の後ろで、気づかれることもなく歩いているだけの」
56歳のアルコール中毒患者。
●「うつだから自殺をしたいわけではない。自分はそうじゃない。人生は美しいし、それを体験できることは特権でもある。だが自分は疲れている。なので自分が来たところに戻りたいだけなのだ。その決断をするのは自分の人間としての権利だから」
●施設にいる躁うつ病患者の言葉。ちょうど診断のガイドラインがいかに独断的かを話していたとき。
「私は自分を治すために薬を飲んでいるわけではない。何も自分におかしいところはない。ただ周りにいる人々がみんなクレイジーなので、そこにフィットさせる必要があるからだ」
●「痛みを感じることは何も感じないよりましなんだ」
精神病棟から移されてきた自傷行為をする10代の言葉。彼は何も感じない、悲しみも喜びも。そのため痛みを選んで頭を壁に打ち続けていた。
●11歳のアスペルガー症候群の子供と会話をしていたときに言われたこと。言葉以外のサインや誤解など、対人関係のコミュニケーションについてどういう影響があるかなど。
「まるで色を色覚異常の人に説明する感じ」
●体のイメージ問題を抱えていて、回復してきた患者が言った。
「私たちは一生をかけてどこかに行こうとしたり何かを得ようとしたりしている。幸せになるために。だけど真の幸せは、そんなところへは絶対に行けないと知るときで、あるいはそこに行けたとして、それでもさらに新しい場所や物を求めて夢見ていることに気づくとき。だから今持っているもので幸せにならなくちゃいけない」
悲しさやつらさの中に核心を突いたような発言もあり、いろいろと考えさせられます。