麻痺の子を亡くした父親がデザインした墓石が大きな反響を呼ぶ
生まれつき身体に麻痺のあった息子を亡くした父親が、天国に召されたわが子のために、特別な墓石をあつらえたそうです。
海外サイトで大きな反響を呼んでいたデザインをご覧ください。
「これからはもう、車イスに座っていなくていいんだよ」とのメッセージが込められています。
どんなに多くの言葉を積み重ねるよりも、家族の思いが伝わってくるのではないでしょうか。
海外掲示板のコメントをご紹介します。
●想像もつかない。健康に産まれてくることは本当に恵まれているんだね。それを当然だと思っていることに気づかされる。
↑健康であることが、一般的な日々の暮らしでは当然のように思われてるね。
↑自分が足を失う前は、まったく当然のことだと思っていたよ。
今はそれをしないようにしている。戦争で負傷したグループで、靴フレンドを見つけた。自分は右足、友人は左足がなく、サイズはともに同じなので、お互いに靴を送り合っているんだ。
↑今まで聞いた戦友ストーリーの中で、最もキュートな話に思える。どんなに大変か想像もつかないが、サポートがあってよかったと思えるよ。
↑ソウルメイトって呼びあってる?(Soul=魂、Sole=靴底のダジャレ)
●うちの最初の子は生まれて6日目で亡くなった。ひとつ希望があったとすれば、その日から何でも当たり前だとは思わなくなったこと。娘たちのことでもね。
●ロジャー・エバート氏が「泣くこと」について言及していたが、「私は映画などの悲しい場面で泣くことはない。良い場面のときだけ泣く」と。
歳を重ねるほどにそれが真実だと感じている。この父親が息子を亡くされたことは悲しいことだが、彼がそんなにうれしそうな子どもの記念碑を建てたことに涙が出る。
↑それについては個人的な意見がある。歳を取るほど、あまりに多い周りのネガティブなことに対して鈍くなっていく。
そして歳を取るほど良いことや優しさが貴重であることに気づいていく。だから悪いものを見ると気にもしなくなるが、真実の良いことに触れると、まるで幸福や楽しさを求める心が人質にとられたような気持になるんだ。
↑自分にとっては犠牲があるかどうかだな。悲しいシーンを見たくらいでは大丈夫だ。だけど誰かが誰かの犠牲になるところを見るとぼろぼろになる。
●うちの兄も生まれつき身体に麻痺を持っていた。彼は32歳まで生きた。一度も歩けないことに関して文句を言ったことがないし、愛する人と結婚もした。最も愛すべき兄だった。兄さん恋しいよ。
●これは最近見た中で最も悲しく、心に響いたものだよ。同じ父親として押しつぶされたよ。
●車イスを使っているけど、これは美しいと思った。
●いろいろな人がいろいろな方法で悲しむが、この父親が最も美しい形で息子へ愛情を表現できたことが素晴らしいと思う。
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