「ブルガリア最後の国王は亡命から50年後に帰国して…首相になった」海外の反応
ブルガリアのシメオン・サクスコブルクゴツキ氏ほど、人生の起伏の幅が大きな人物もそういないことでしょう。
ブルガリア王国の最後の国王だった彼は、王政が廃止されると国を追われ、再び戻ってくると首相として国のリーダーに舞い戻ったのです。
TIL when the Bulgarian monarch died at 49 during WW2
シメオン・サクスコブルクゴツキ元首相は、かつてブルガリア王国の最後の国王でした。
(シメオン・サクスコブルクゴツキ - Wikipedia)
第二次世界大戦中の1943年に父王ボリス3世が49歳で亡くなったとき、当時6歳だったにもかかわらず、シメオン2世として即位しました。
ところが終戦後、ブルガリアは王政が廃止され、共産主義国家・ブルガリア人民共和国となりました。9歳になった彼と母后らはエジプトやスペインで亡命生活を余儀なくされました。
次に彼がブルガリアに帰ってきたのは50年後の1996年。
政党を立てて党首に就任し、2001年に見事首相の座を勝ち取ったのです。
王位を追われたものの、また首相として復帰したという例は珍しく、2005年の8月まで在任していました。
祖国のリーダーに異なる体制下で2度もなり、国王と首相を両方経験した稀有な経歴の持ち主となったのです。
海外掲示板のコメントをご紹介します。
●彼の政治スローガンがこうじゃなかったのが残念だ。
「久しぶりだ、みんなどうしてたんだい? 私は退位させられていて忙しかったよ」
↑それはスローガンとしては長すぎだな。
↑そうだよ。「久しぶりだ。みんなどうしてたんだい?」で十分だ。
↑あるいは「帰ってきたぜ、ビッチどもめ」でもいいな。
↑「パパは帰ってきたよ!」
↑「OK、今まで後悔するようなことをお互いに言ってきたが、ブルアリアのためにそれを過去のことにしよう」
●(投稿者)あと、彼は最後のツァーリ(皇帝を意味し、語源はカエサル)と呼ばれ、彼が亡くなるとローマ帝国時代から、初めてその称号を持つ人物がいなくなるんだ。
↑80年代にはパブロ・エスコバル(コロンビアの麻薬王)を人々はツァーリと呼んでいたよ。
↑パブロはもう死んでいる。
↑興味深い。でももうその称号を持つ者は誰もいないのは知らなかった。ちなみにはドイツ語では皇帝はカイザーで、これもカエサルの派生語だ。
●トップから始めて、落ちて、また帰ってきたんだ。
●50年が経ってからでも、人々が彼のことを覚えていたのが驚きだよ。
↑女王のことを60年経ったら忘れると思うのか?
↑その女王は50年経ってもまだ生きてるよ。
●ちなみにブルガリア人が王政を廃止する投票をしたわけではない。ソ連が共産党を強要して若いツァーリを追い出したんだ。
1937年6月16日生まれで、81歳になった現在も健在であるとのことです。