2018年11月09日 13:03

サミュエル・モールスは、なぜ「モールス信号」を発明したのか

 

サミュエル・モールス00
長さの異なる2つの符号のみを組み合わせて、文字を伝達することができるモールス信号。

その名前の由来はモールス電信機を発明したサミュエル・モールスからとったものです。

その彼が1830年代にモールス信号を発明したのには大きな理由がありました。

TIL that in 1825 painter Samuel Morse received a letter which read that his wife was sick.

当時は連絡手段が発達しておらず、手紙でさえ何日も、ときには何週間、何か月とかかりました。

1825年、ワシントンD.C.で仕事していたサミュエルは、妻が病気であることを父親からの手紙により知ります。さらに翌日に届いた手紙は妻の訃報でした。

ただちに妻の元へと目指した彼ですが、到着したときはすでに埋葬された後でした。妻の急死はもちろんのこと、病状が良くなかったことさえ知らなかったことにサミュエルは深く傷つき、嘆きました。

あまりの情報伝達の遅さに憤慨した彼は、長距離通信を高速に行える手段を研究することに没頭し、モールス式電信や符号が発明されたのです。

海外掲示板のコメントをご紹介します。

●昔の伝達手段と移動手段は、いつも興味深いと思っている。 自分の人生が、実家から数か月や数年間、完全に遮断されるだなんて恐ろしいことだと思う。たとえば1700〜1800年代に海軍の船に乗ることは、帰宅したときに家族が亡くなっている可能性があった。戦争が起こっていたり、終わっていたりなど、政治体制すら変わっているかもしれなかったんだ。

↑第二次世界大戦の頃、うちの曾祖父はイタリアにいた。
曾祖母は電報で彼が戦死した知らせを受けた。その4〜5日後になってその前の電報は間違いだったという知らせが来た。
彼は負傷して行方不明になっていたが発見されたんだ。曾祖母が一週間、自分の夫が亡くなったと信じたときの精神状態なんて想像もつかない。彼がイタリアから持ち帰ってきたピストルが自分の手元にあるよ。彼が受け取った電報とメダルもね。

●講義でトリビアとして学んだが、モールス信号の前のオリジナルの電報は、視界に入るタワー同士の屋根から送り合うものだったらしい。

↑そのオリジナルの電報(あるいは手旗信号)は驚くほど機能していた。リールからパリ(230km)まで32分でメッセージが送れたらしい。

↑かがり火(信号用)がついた!

●愛する家族が亡くなったのを知る残酷な方法だな。

↑兵士の家族たちは何年も知らなかったものだよ。他の同じ部隊が帰ってくるまでね。「ああ、忘れていた、ジミーは最初の週に亡くなったよ」

●初期のヨーロッパ探検家は本当に興味深い。ほぼ死刑宣告をされたようなものだが、彼らは旅立った。
マゼラン船団は1519年に270人と5つの船でヨーロッパを後にしたが、帰ってきたのは19名だけだった。

●わお、ラファイエット侯爵の肖像画がモールスによって描かれていることを知らなかった!(その仕事を引き受けているときにモールスの妻が亡くなった)
その肖像画をめぐるモールスの人生が、コミュニケーションの歴史に重大な影響を及ぼしていったことはクレイジーでさえある。

↑彼はアメリカのお気に入りのフランス人なんだ。

↑だからラファイエットと言う名前のストリート名が多いのか。

↑フランスより多く、都市名、ストリート名、川名になっているよ。

●「ビー、ビー、ビー」
「すみません、奥様が5分前にお亡くなりになりました」
「なんてこった、最悪だ。でも、これはすごいありがとう」

●Facebookで知るようなものかもしれない。うちの母親が亡くなったとき、友人らがお悔やみやらを妹のFacebookページにタグを付けて投稿し始め、それによって知った親戚がいた。そのことについて全く心の準備をしてなかった。その後18か月後に兄が急死したとき、大きなショックと悲しみを受けながら、家族や親せきがFacebookで知る前に必死で連絡しなくてはいけなかった。それでも成功はしない。娘は大学で家から離れていて、少なくとも彼に伝言ができて、Facebookから知るよりはよかった。


近年の情報通信の発展はすさまじく、昔のことを想像できなくなってきました。

今の遠距離コミュニケーションの発達ぶりは、モールスもきっと想像してなかったでしょうね。

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