2018年11月26日 13:12

「貧困家庭に育ち、友達の誕生パーティにプレゼントを持って行けなかったときの思い出を話そうと思う」

 

友人の誕生パーティにプレゼントも持っていけなかった
子どもの頃に貧困だったという人物が、友達の誕生日にプレゼントを持って行くことができなかったエピソードを、海外掲示板で語っていました。

今でも感謝の気持ちが消えないという、30年前の思い出話をご紹介します。

Made me tear up from r/HumansBeingBros

その内容と言うのが……。

私は貧困家庭で育った。母親は私に食事をとらせるために、友達の誕生パーティにプレゼントを持たせずに行かせた。やがて、それがとても恥ずかしくてたまらないことに気がつく年頃になった。

小学校5年生のとき、友達の誕生日パーティの前に、その家に泊まるお誘いを彼女のお母さんから受けた。その友達がシャワーに入っている間に、娘の誕生日に買ったおもちゃをいくつか広げて私に選ばせ、それを包んで私の名前を書いてくれた。

私は37歳になった。今でもそのお母さんには心から感謝している。その厚意が、私にとって、とてもとても大切なものとなった。

なんとすてきなお母さんでしょうか。デリケートな子ども心が、これによってどれだけ救われたのか想像に難くありません。

海外掲示板のコメントをご紹介します

●友達のお母さんはいい子育てをする人だね。子どもってのは、そういうことを考えなくていいはずなんだ。

↑プレゼントをもらえないことよりも、贈ることができないほうがもっと恥ずかしいことで、この子がそれを経験しなくちゃいけなかったのはとても悲しいことである。

↑でも友達が全くいないのはもっと恥ずかしいことだよ。うちでパーティをするので招待したら1人しか現れなかったことがある。
覚えているのは、クラスのみんなが3日間の修学旅行に行ったが、誰も自分が病欠していることに気づいていなかった。自分はプレゼントより友達が来てくれるほうがいいよ。

●うちも、その友達のお母さんみたいな母親だった。今になっても当時の有人たちから母の日に電話があるほど。
友人のひとりはゲイであることを家族に許してもらえず、高3のときにうちで一緒に暮らした。学校から帰宅すると怒鳴られるせいで、急に落ちこぼれ始めたのだ。うちの母親は泊まる場所を提供しただけでなく、大学に行けるように尽力した。彼は今とてもよくやっていて、うちの母親を「お母さん」と呼び、自分を生んでくれた母親を「リンダ」と呼ぶ。

↑>自分を生んでくれた母親を「リンダ」と呼ぶ。
その母親の本当の名前がリンダじゃないと信じたいほどだ。

↑子ども時代に友達が家庭環境がひどいために苦しんでいるのをたくさん見てきた。
悩みを話せる大人はおらず、誰も自分のそんな状態を見出してもくれない。それが理由で自分は教師になった。
教えることに関しては平凡な教師だが、子どもの話を聞いてあげることは得意。受け持ちのクラスじゃなくても「大丈夫だよ」と教えてあげたい生徒がたくさんいる。誰か気にかけてくれる人がいるのを知ることは、彼らにとって大事なのだ。

●自分も似た環境で育った。その友達のお母さんみたいな人が、自分の住んでいた場所を忘れさせてくれて、警察に登録されている両親の名前を忘れさせてくれて、そして普通の子どものように扱ってくれた。

↑自分はそういう環境に一度も陥ったことがないことに感謝をしている。

●この投稿を見てショックを受けた。自分の子どもが大人になってこういう文章を書くことが想像もつかない。自分の子どもを食べさせていけないほど苦しみませんように。

●なんてすばらしいお母さんなのでしょう。自分は友人の誕生日にヤードセール(引っ越し時など、いらなくなったものを家の前で売ること)で買ったクマのぬいぐるみを持っていった。お古でしみもついていたが、唯一それしか買えなかったのだ。他の子たちがとてもいいものを持ってきているのを見て、とても恥ずかしかったのを覚えている。

↑言っておくと、自分の最もお気に入りの誕生日プレゼントは友人がくれたお古のキリンのぬいぐるみだった。
新しいものをいろんな人からたくさんもらったけれど、古びたキリンはとても愛された証拠で、新しい養子の母親になった気になったのだ。
まるでそこに個性が宿っているかのように。他の新しいおもちゃは全部ブランクな感じがした。なぜ彼女がそれをくれたかはわからず、お金の問題だと思うけれど、彼女がそのことで気分を悪くしてませんように。そのキリンが大好きだった!

●すばらしいね。自分も子どものころは貧しかった。
5年生のときプレゼント交換会があった。自分は先生にこっそり参加しなくてもいいかどうかを尋ねた。なぜなら他の子のためにプレゼントを買えなかったからである。もちろんそのことでプレゼントがもらえないこともわかっていた。
そしてプレゼント交換会がやってきた。驚いたことに先生に呼ばれた。自分も参加できるように、いくつかの小さなプレゼントを持ってきていたのだ。その寛大な行為はいまだに忘れることはない。

●自分もプレゼント交換会のときにお金がなくて、自分の持っているクマのぬいぐるみを包まなくちゃいけなかった。それが当たった女の子は見るなり、「いやだー、古いぬいぐるみだ!」と言って、自分をからかい、笑って、そしてそのぬいぐるみを自分に返してくれるのではなくゴミ箱に捨てた。
いまだに人間嫌いなのは、それが理由かもしれない。

●私は貧困ではなかったけれど、こんなストーリーがある。
9歳のときだった。小学校で先生が「家から食べ物を持ち寄るランチ会」を計画した。家からスナックとかジュースとかを、それぞれのおうちから持ってこなくてはいけなかった。
このことを自分の母親に正確に伝えられなかった。そこで母親は半分しか入っていないポテトチップスの袋を持って行きなさいと私に言った。もちろんそれは趣旨に沿っていなかった。全く理解せぬまま得意げな顔をしてその半分のポテトチップスを持っていき、どんなに私が馬鹿げて見えたか、どんなに貧困に見えたかしれない。
母親はひどいことをしていたわけではなく、私が友人と遊びに行くのに何かつまむものが必要だと思っただけであった。
その半分のポテトチップスを先生に見せた。先生は取り乱して教室から出ていくように言った。食べ物を持ってこないなら参加はできないと言ったのだ(でもどこに行ったらいいかもわからなかった)。
そして私だけが教室を出て、まだ校内だが、建物のとなりのゲートの壁のところに座っていた。すると知らない女性で、おそらく訪問者なんだと思う。話をして何があったのかを伝えた。すると彼女は立ち上がって「すぐ戻るわね」と言い、ビニール袋にたくさんのいろいろなスナック菓子を入れて戻ってきた。少なくとも5つくらいのブランドのがあったと思う。
自分は何が起こっているかわからず、その通りすがりの見知らぬ女性に対して「YES」だけを言っていた。彼女は私を教室に連れて行って私の叔母のふりをしてくれ、私を助けるために仕事を抜け出してきたと先生にウソをついてくれた。
今でもあの女性が誰だろうと思う! それはもう私の人生にとってもっとも不思議な日だった。

●私は貧困家庭の母親のほうである。
何度、息子に何かプレゼントになるものを用意できないのでそのパーティには行けないと言ったかしれない。そして本当に何も買えなかった。
できるだけクラフトものは集めていて、時間があればその子の好きなものに沿ったものを作ったりはした。あるいは何かしらその子の部屋に飾るのにクールな絵を描いた。息子はデザインや作る過程で助けてくれた。
息子のためにやってあげられなかったことはとても心が痛く、最低でもそこまでしてやれたことは嬉しく思う。そのお友達のお母さんには、そういう理解を示してあげたこと、貧困な親の失敗のせいで子どもを恥ずかしがらせなかったことを感謝したい。だって私たちのせいなのだから。


すてきなお母さんだと、称賛の声ばかりでした。
子ども時代の経験は、良いことも悪いことも人生に影響を与えることがありますね。

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