史上最悪と言われた1904年の五輪マラソンは…想像以上にクレイジーだった
RAT POISON AND BRANDY: THE 1904 ST. LOUIS OLYMPIC MARATHON. - YouTube
近年の男子マラソンの優勝タイムは2時間10分前後ですが、100年前は3時間近く掛かっていました。
しかし1904年のセントルイス大会は当時の基準でも突出した遅さで、次に遅い年より30分も掛かっています。
過去の大会全ての参加者は総勢1421人ですが、タイムを1位から順番に並べると1904年の優勝者は1398番目。その他の98%の五輪の参加者より遅いことになります。
マラソンには棄権がつきものとは言え、通常は75%以上が完走するのに対し、1904年の完走者はわずか38%でした。41人の参加者中9人が欠席で、完走者はたった14人だったのです。
いったい何が起きたのでしょうか。
1つには、その日のセントルイスの天候に問題がありました。
マラソンに最適な気温は7〜10度で、21度を超える日は開催中止を推奨する研究者もいます。ところがその日のセントルイスの気温は日陰で32度、日向は37〜40度に達していました。
それだけでも十分に劣悪と言える環境ですが、給水ポイントはたった1か所で砂ぼこりの舞う状態だったのです。
ひどかったのは天候だけではありませんでした。
1位でゴールした選手は棄権するつもりで自分の車に待避し、着替えをとりに車をスタジアムに戻したときにマラソンのファンファーレが聞こえたのでマラソンコースに復帰、つまり不正行為をしてゴールにたどり着きました。
2位でゴールした選手はゴール間際は足をもつれさせながらトレーナーたちに運ばれました。トレーナーは選手に水を与えることを拒否し、ブランデーとネズミの毒をレース中に与えました(当時はドーピングは違法ではなかった)。
その後、1位の選手の不正が暴露されて正式な優勝者となっています。
3位の選手についてはあまりよく知られていません。
4位の選手はキューバ人の郵便局員で、五輪に参加するために国中を走り回って資金を集めたのですが、ニューオーリンズに到着するとマラソン経費をカジノで使い込みます。お金がないので結局、正装の靴で参加したのですが、道に落ちていた腐ったリンゴを食べたことで1時間の昼寝をしていなければ優勝しただろうと言われています。
9位と12位は南アフリカの選手で裸足で走りました。南アフリカからは選手を送っておらず、たまたま町にいた学生が楽しそうだと参加しました。9位の選手は途中犬に追いかけられてコースを外れています。
選手の半分はマラソン初参加で、幾人かは亡くなりました。
ロシアに至っては、まだユリウス暦を使っていたことから代表選手が1週間遅れて到着し、参加できませんでした。
東京五輪も暑さが懸念されるだけに不安を感じるところです。
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