オーストラリアのミクロ国家「ハット・リバー公国」がコロナ禍で維持できず…50年の歴史に幕
「ハット・リバー公国」の場所はオーストラリア西部の75平方kmの農地。
1970年にレオナード・ケースリー氏が独立を宣言しました。ただしオーストラリア政府はこの独立を認めていません。
1969年10月、西オーストラリア州政府が小麦の販売量割当を決定した際、ケースリーの農場に割り当てられた販売量が十分なものではなかったため、他の5つの農場と連携し政策に反対し、西オーストラリア州総督のダグラス・ケンドルーに法案撤回の請願書を提出した。しかし、請願書は無視され、さらに州政府が地方の農地を取り返す権利を認める法案の審議が進められたため、ケースリーは「経済・土地が奪われる危機に瀕した際には分離独立することが出来る」という国際法の規定に基づき独立の準備を進めた。
(ハット・リバー公国 - Wikipedia
)
人口は30人ほどで、通貨や運転免許証も発行してきました。
2017年には高齢になったレオナード公(1925年生まれ)から、長男のグラエム公へ譲位されましたが、その際に3億円近い納税額が発生。
新型コロナウイルスの影響で観光収益が悪化したこともあり、50年の歴史に幕を下ろし、土地を売却することで対応することに。
グラエム公は「父が築いた国を廃止せざるを得なくなり、とても悲しんでいる」と語っています。