「子供の頃に貧困だった人に質問、どんなことが贅沢でしたか?」回答いろいろ
For those who grew up poor, what did you consider a luxury?
●外食をすること。
●12歳まで、セール中以外は何かを買ってはいけないものだと思っていた。母親がセール中しか買わなかったので。だからセール中でないものは売ってないのだと思っていた。
●わかってくれる人がいるかわからないけど、小3か小4の頃の話。
僕と双子の弟は、音楽の授業でリコーダーを買わなければならなかった。
母親は全くお金がないと言うので、弟と2本分のリコーダーを買うための6ドルを求めて、家中を隅から隅まで探して小銭(1セント、5セント、10セント硬貨など)をジップロックいっぱいにし、学校へ持って行った。
きっと先生は僕らをかわいそうに思ったのだろう。なぜなら他の生徒がいなくなった後で先生がリコーダーを買ってくれて、そのジップロックは返してくれたから。
ありがとうアルブレット先生。
●アーカンソー州でトレーラー暮らしの貧困家庭で育った。文字通り、クリスマスに自分のベッドルームにドアをもらった。多分、今までもらったプレゼントで最高だった。
●自分のベッドを与えられて、とても興奮したのを覚えている。
●ランチに持ち寄って、みんなで分け合うスクールパーティがあった。
「何も持って来ない人は参加できません……」という条件だった。
2年くらい給食を買えなかった自分は、ニンジンを2本持って行った。先生にさえ笑われた。幼かった自分は、そのときランチを食べるに値しない人間もいるのだなと心に刻んだ。
●新しい靴。
●「今夜は、晩ごはんにピザを頼むよ」
●中学生の頃、うちは低額給食(低所得家庭のための措置)で、1日40セント(約40円)だった。両親はいつも50セントをくれた。カフェテリアではクッキーが売られていて、それは給食に含まれておらず、1枚50セントだった。
毎日10セントずつ貯めて、金曜日にはクッキーを食べた。良い時代だった。
●店でキャンディを手に入れること。新しい文房具。ブランドメーカーの食べ物。
↑ブランド品なら何でもだよね?
●パンケーキ。
大人になった今、パンケーキのコストの安さを知ったので、母親が作りたくなかったのだと思う。
●両親が家にいること。いつも孤独だった。
●電気。母さん、今月も払ってくれてありがとう。
●映画館に行くこと。
●冷房。
●高校のときに彼氏(のちの夫)と彼の家族は、私が貧困で家庭が壊れていることを早々に知り、私を受け入れてくれた。憐れみではなくスイートな方法で面倒をみてくれた。
私がアートに傾倒しているのを知った彼のお母さんは、近所の小さなグループレッスンをしているアート講師を見つけてくれた。
私の興奮ぶりは、うちの母親が気付くほどだった。材料費も含めて100ドル(約1万円)くらいの月謝だったので、講師に次の給料日まで待ってくださいとお願いしたら承諾してもらえた。
給料日が来て月謝を持って行ったら、彼のお母さんがすでに講師と話を付けてあり、奨学金扱いよと言ってくれた。
今思い出しても、とてもすばらしい気持ちになる。
苦しいときに助けてもらった経験は、月日が経っても忘れられないようです。