「初めての音楽コピー出版はモーツァルトだった…」海外の反応
1630年代、バチカンのシスティーナ礼拝堂でのみ演奏されていた合唱曲がありました。
グレゴリオ・アレグリ作曲の「ミゼレーレ・メイ、デウス」で、外部に複写されないようにバチカンが150年ほど楽譜化していませんでした。
ところがモーツァルトが14歳のときにその曲を2度聴き、その記憶だけをたよりに譜面に起こし、それが歴史上に記録されているものとしては最初期の未許可の複写というわけです。
その後ロンドンに渡り出版されたので、それはモーツァルトが耳コピした海賊版だったということになります。
ローマ教皇はその点についてモーツァルトの才能を絶賛したと言い、著作権の概念も異なる時代ですが、無断には違いなかったわけですね。
海外掲示板のコメントをご紹介します。
●そこから推測できることは、バチカンはモーツァルトを殺したってことなのか。
●ちょっと訂正すると、彼は一度聞いただけで譜面にし、さらにもう一度聞きに行って正しく修正したということである。
もう一つの興味深い事実は、現在私たちが聴いているバージョンはモーツァルト版ではなく、別に4度高いものが譜面にあったのだが、50年くらい経ってから偶然にその高い部分を加えたまま印刷されてしまった。それが現在一般的に受け入れられている楽曲。
●「ミゼレーレ・メイ、デウス」の振り付けあり動画。
Miserere mei, Deus - Allegri - Tenebrae conducted by Nigel Short - YouTube
●モーツァルトは凄腕だな。
↑まさに。それに彼は衝動を抑えられないタイプでもあった。きっと現在の科学者や心理学者が彼を研究すると面白いと思う。
●なぜ自分はモーツァルトが耳が聞こえないと思っていたんだ。
↑それはベートーベンと勘違いしているからだ。
●こんな才能のあるミュージシャンは現在でもいるよ。
残念ながら今の音楽業界では、才能があってもルックスや市場性によって成功できるとは限らない。
●若手作曲家「モーツァルトさん、私は交響曲を書くことを考えているのですが、どうやって始めればいいでしょうか」
モーツァルト「交響曲はとても複雑な音楽構成で、まだおまえは若い、だからもっとシンプルな曲から始めてはどうだろう? 協奏曲とかね」
若手作曲家「でも、あなたは交響曲を8歳の時に書き始めたというではないですか」
モーツァルト「だが私は書き方を人に聞いたりはしなかった」
↑当時は多くの8歳が交響曲を書いていた。モーツァルトの曲を聴いてみたか? ノーだ。良くなかった。現在にも交響曲をかける8歳はいる。構成を訓練してもらえばいいだけである。
モーツァルトは父親に訓練された、その兄弟と同様に。
モーツァルトはクレイジーな父親が、強引に厳しく指導したので質問する必要はなかった。彼は他のやりかたを知らなかった。マイケル・ジャクソンと似ているよ。
●おい、今日(1月27日)はモーツァルトの265歳の誕生日だぞ。
●バチカンがそれを秘密にしていた理由は何なんだ?
↑職務保障、そして客寄せ効果。
●多くの音楽史と理論は、基本的には海賊行為である。ただし通常は拝借したとか影響を受けたとかいう言い方になる。
本当の作曲者が誰だったのか歴史を正確に手繰ると、いくつかの出どころは変わってくるのかもしれませんね。