「信心深い家庭で育ったのに無神論になった人、神を信じられなくなった理由は?」回答いろいろ
日本は無宗教を自認する人も多いですが、信仰心の厚い諸外国では変人扱いされることも珍しくありません。
しかしながら信心深い家庭で育った上で、無神論者になった人もいます。
「信心深い家庭出身なのに無神論者になった人、信じられなくなった理由は何ですか?」
この質問に対する、海外掲示板のコメントをご紹介します。
Atheists from religious families, what made you a non-believer? : Reddit
●自分の中で、つじつまが合わなくなってきた。それと地獄に落ちると言われることに疲れてきた。
↑たまに教会に行けなかっただけで、いつも地獄に落ちると言われてきた。それが最初のきっかけ。でも彼らが信じていることが本当なら、彼らも私を裁いている理由から地獄行きだ。
●聖書を読んだ。そして私の周りにいる99%のキリスト教徒は読んでないことに気づいた。さらに大半の人が何が書かれているか知りもしない。アメリカのキリスト教はジョークだよ。
↑アメリカのキリスト教は共和党にハイジャックされて武器として利用されている。
●母校の私立の聖書試験で、地球が誕生してから6000年とあった。そこでいったい自分は何を信じているのか掘り下げてみた。
アブラハムが息子を山で生贄として捧げるとこから、もうめちゃくちゃ。それが現実だとしても彼を崇拝したくない。もうそこからは雪だるま式。ほとんどの部分は良い道徳の本だけどね。
●一節ごとに与えられるのではなく、初めて1から聖書を読み始めた。
それは私が教えられたものとは全然ちがった。イエス・キリストはクレイジーなファンダメンタリストのようだった。そこから信仰がどのように発展していったのかを学んだ。そのためにユダヤ教がどのように発展したかを学ぶ必要があった。アブラハムの宗教史は、信仰として教えているものとは違う。それが私の信仰を殺した。
しばらくは弁証学にすがりついていた。だがプロの弁証者ほど不誠実な人はいなかった。彼らは明らかに誤っていることを自慢げに語る。専門家に訂正されたことを認識しながらも、同じ間違いや記述を新しい視聴者のために何度も何度も繰り返す。
彼らが大好きなフレーズは「無神論者たちは最初は無だったという。その無が爆発して恐竜が誕生したと言う」とか「もし進化論が正しいなら、なぜ今でもサルがいるのか?」など。
そこから完全に流動性のある矛盾の多い解釈が始まる。弁証学者にどの一節を渡しても逆の意味となる。そこにはあまりに多くの「キリストが言うには(実際には本人が言う)……」が多すぎる。
●聖書を読み始めたから。
↑14歳のときに神が存在することを証明するために読み始めた。逆効果だった。もう一度20歳のときに読んだが、家系図のところは飛ばした。それによって無神論が強化された。
●カトリックの学校に通ったから。
↑これ。中2の頃には宗教は向いてないと思った。
●自分はだんだんと……信仰をやめた。
なんとなく嘘っぱちとは感じていたけど、刷り込みがあって信仰心は何年も残っていた。何年もの教会や聖書キヤンプ、地獄や悪魔について怒鳴られたので、そういうのは残る。でも今は何もない。証拠がほしいが嘘はいらない。若い牧師の「信じなさい」はいらない。実際の証拠を見るまで無神論者。
●10歳のときに、地元のスワミ(ヒンズー教の牧師)の寺で「お気に入りの神は誰か?」と尋ねられた。自分は「マイティ・ソー」と応えた。
彼は笑い、家族も笑い、周りにいる人もみんな笑って、それは子どもたちを騙してお金を得るための架空のキャラクターであると言われた。
●啓蒙主義の歴史を大学で勉強した。2週間かそれくらいで矯正された。
●人生で悪いことがたくさん起きた。もし神がいるならなぜそんなことをするのだろうか?
↑自分もそのクラブに入会する。
↑典型的な宗教の答えは「あなたの信仰が試されているのです」と「神があなたに与えた試練です」
●一度も最初から信じたことはない。冗談でそれを言ったら母親に怒鳴られた。今でも秘密にしている。
●理論と証明によって。自分は専制君主の王たちに編集されてきた本を信じない。
●全て嘘に見えるから。
若い頃から周りのキリスト教徒はほとんどが批判的で愛情がない。
彼らは人に優しくもなく、自分たちのような仲間にだけ優しい。その矛盾にげっそりした。何人か本物のキリスト教徒はいるが、そんな人は少ない。
●神が完璧だとかパワフルだとか聞くのに飽きた。
「神がすることは全部すばらしい」「神はみんなを愛している」
だが歴史を読むと、宗教戦争、拷問、残酷さだらけで、自分の脳は「なんてこった、どこに愛があるんだ」となる。
ニュースを見て、殺人者や異常者の話を読んでもそう。そして宗教は全くつじつまが合わない。宗教心の強い人は怖い。いらいらや怒りがある(うちの母親も含めて)。
さらに全ての宗教同士で争っている。力のない無実の人が被害を被っているのもひどい。架空の天国に入るために、人々は自分や周りを破壊している。
●論理的な帰結だよ。何年も自分に注がれてきたナンセンスに洗脳されていた。
信じなくなったのは、興味深いパターンを見つけてから。もし自分が何か良いことを成就すると、それは「神の意志」。だが、ひどい失敗をすると、それはいつも自分のせいになる。
●子供の頃は、教会に行くのをずっと強制されていた。その間、ずっと身体的にも精神的にも継父から家で打たれ続け、毎秒それを変えてほしいとお祈りしては、何度も何度もがっかりさせられた。
13歳のときに家を出て、二度と振り返らなかった。
●信仰心の強い家族のせい。やつらはひどい連中だ。
個人差の大きい話ですが、聖書を読んだことがきっかけというのも興味深いですね。