「古代ローマ時代に剣闘士の死亡率を激減させた名医がいた…」海外の反応
古代ローマ時代に体系的な医学を確立した、医学者ガレノス。(西暦129年頃〜200年頃)
剣闘士(グラディエーター)の外科医も担当し、彼が外傷の手当てをしたことで死亡者を激減させたそうです。
その方法とは……。
ガレノスはケガの消毒方法としてワインを使い、露出した腸を体内に戻す前にもワインに浸していたとのこと。
そんな彼のもとで亡くなった剣闘士は、わずか5人だけだったとか。
海外掲示板のコメントをご紹介します。
●彼は何人くらい患者がいたんだい? 5人以上だと思いたい。
↑(投稿者)それはわからないが、その前の医者は60人ほど死んでいる。
●古代ローマから現存する文献の半分はガレノスが書いたもの。20,000ページ。非常に多作な作家。
↑彼は非常に人気があり、著作物は重要視された。「妊娠中の注意点」や「応急処置の手引き」のコピーがあちこちにあるような感じ。
↑今から2000年後:「わお、Wikipediaという人の著作があちこちにある」
↑Wikipediaには間違った情報も多いが、これで現代文明を再構築することができるだろう。とても便利だな。
もちろん、それらインターネット上にあるため、サーバーが核攻撃されればすぐに多くが永遠に消えてしまうけどね。
↑万が一に備えて、Wikipediaを印刷したものを保存する終末予言者がいる。
●ちょっと自分の肝臓をワインで浸してくる、ありがとう。
●なぜか古代では、切り傷を負う=死刑と思われていた。
剣闘士の遺体には、切り傷、刺し傷、切り裂き傷など、さまざまな傷から回復したことを示すものがたくさんある。兵士も同じでローマ人は人の治療に長けていた。
もうひとつ面白い事実として、古代の戦いは通常、兵士の1〜5%しか死ななかった。全滅したり大量の死傷者が出たりする戦いは珍しい。戦闘は一日中、あるいは数日かかることもあり、映画などの狂ったようにお互いを切り刻みあうようなものではなく、鎧や盾がとても効果的だった。
↑さらに付け加えると、火薬が使われる以前の戦いでは、戦闘で死ぬのはごく一部で、犠牲者のほとんど(90%以上)は、勝利者が溜め込んだストレスを殺戮の熱狂で発散させるために敗走中に発生する。
このため、死傷者の数は勝者と敗者の間で非対称であることがほとんどで、死ぬまで戦う「タウトンの戦い」は例外であった。
(※"Battle of Towton"は、薔薇戦争中の1461年3月29日の雪の日に行なわれ、死傷者2〜万人で、イギリス史上で最も血なまぐさい戦い)
しかし、火薬が導入され、銃士の列による戦いが始まると状況は一変した。戦いの最中にほとんどの死傷者が発生し、左右対称になり、死傷者の数だけではどちらが勝ったかわからないことも増えた。
↑だから、ローマ帝国の教義では、最高の戦士や退役軍人を後方に配置し、やる気のない兵士を従わせる。
●彼が開発・設計した道具は、現在の道具と非常によく似ていて、外科医もそれを認識していて、同じものがたくさんある。
(Surgical Instruments from Ancient Rome)
ガレノスの先進的かつ体系的な学説は、その後ルネサンス期まで1500年以上にわたり、ヨーロッパの医学およびイスラム圏の医学において支配的なものとなりました。