人類の歴史上「最も恥ずかしい要塞」と呼ばれたアメリカとカナダの国境付近にある建築物「フォート・ブランダー」
人類は数多の要塞を築いてきましたが、「最も恥ずかしい要塞」と呼ばれるものがアメリカとカナダの国境付近に存在します。
その理由は、見た目とか機能と言ったことではありません。
歴史に残る、カッコ悪いエピソードをご紹介します。
「1818年、アメリカはカナダからの侵略を防ぐため、ニューヨークとケベックの国境近くに要塞の建設を開始した。しかし、2年経って、要塞はカナダ側にあることが判明。要塞を放棄し『フォート・ブランダー』(要塞の失策という意)と名付けた」
うーん、これは恥ずかしい。
うっかり相手国の領地に要塞を作ってしまうとは。
1842年にはこの領地をカナダに譲ってもらい、現在は「フォート・モンゴメリー」の名称になっているとのこと。
海外掲示板のコメントをご紹介します。
●「平和の証として要塞を建設してあげたよ。どういたしまして」
↑カナダ(ぎこちなく)「ええと、我々はまだ何もしてあげてないな」
↑「えっとありがとう。ではそちら側に移動してね」
●当時はまだカナダにあったんだ。
現在のアメリカの歴史的なリストや地図に表示される理由がわからなかったが、そんな時に見つけた説明がこれ。
「米国は、新しく境界線を北に押し上げて、半分完成した要塞をアメリカ領土化することを主張した。これは、1842年のウェブスター・アシュバートン条約調印の際に交渉されたトレードオフの1つとなった。
1886年、砦は74門の大砲が備えられ、その砲身はすべてカナダ側である北に向けられた。しかし、その頃にはカナダから攻撃される可能性が極めて低くなっていたので、アメリカとカナダの国境を要塞化する考えはバカげたものとみなされるようになった」
●カナダで2年間、誰にも止められることなく砦を築けたことも、その必要性のなさを示すヒントになったかもしれない。
●私も母もこの要塞のすぐそばで育った。母が幼い頃、要塞は今のように水浸しになっていなかったらしい。彼女とその友人は、要塞の中を走り回り、大砲の弾のようなものを見つけていたらしい。実際(現在)の名前は「フォート・モンゴメリー」だと思う。
↑自分も同じく、90年代にはフォート・モンゴメリーでかなりの数のタバコを吸っていた。記憶が正しければ、北側は取り壊され、ルート2の橋の建設に使われた。
●こっそりカナダ人が国境を動かしたんだ。
↑君らが気付くのに200年かかっただけだろ(笑)
●国境ってそうやって作るんだよね?
「ああ、あそこが国境だったのか。うちの要塞に言ってくれ」
●作り続けて「トロイの要塞」にすべきだった。
●「カナダの侵略から守るために要塞を作れ」→うっかりカナダに侵略して要塞を作る。
土地を譲ってもらって要塞を作り直した頃には、相手国と仲良くなっていて要塞が不要となっていたのでした。