アメリカ人「医者と悩ましい患者にありがちな会話の例がこちら…」
Reddit/warbotme, @mikedruckerr
医者「お気の毒ですが、あなたはガンです」
バカ「いや、そんなことはない、議論しよう!」
医者「もしセカンドオピニオンを聞きたいというのであれば理解します。実際のところ、それはお勧めします」
バカ「自分が間違ってるから、議論したくないんだろう」
医者「私が間違っていたらいいのにと思いますよ」
バカ「なら、議論しよう!」
深刻な病気を診断されて、そう簡単に受け入れられないところまでは理解できます。
しかしながら、議論して医者を言い負かしたところで解決するわけではないのですが、そうした患者も多いのだとか。
海外掲示板のコメントをご紹介します。
●これがジョークならいいんだけど、実例を見てきた。
20年前にパートナーの母親が乳ガンの治療をした。彼女はその後、実はすべて医師によるウソだったと私を説得してきた。本当はガンではないと思い込もうとした。再発しないように定期検査を受けるべきなのに、とても悲しいことである。
●医者「MRIスキャン写真が見えますか? それが腫瘍です。それに生体検査を実施しました。それはガンです」
バカ「この医者にこの機械ときたら! 今すぐ切開して、物理的にガンを見せてみろ!」
↑バカ「明らかにフォトショップによる加工で、あなたは単にお金が欲しいんでしょ!」
↑心が痛むよ……似たような会話をしたことがある。こんな感じだった。
バカ「みんな私を殺そうとしている!」
自分「患者を殺す方が実はずっと簡単なんだ。僕とチームは、そうならないように懸命に努力してきた。あなたはそれをさらに難しくしているんだ」
こういうのが1日置きにあるよ、なぜかはわからない。精神科医や心理学者なら、この状況を重く見てくれるかもしれない。
↑悲嘆の第一段階は、否定と怒り。
「この人たちは私からお金を取ろうとしている」と考えるのは、「自分がコントロールしたことのない、あるいはほとんどコントロールできなかった不慮の出来事のせいで死ぬかもしれない」と考えるよりずっと簡単。
人間は時に不合理になるようにできている。
↑悲嘆の段階(死の受容のプロセス)は決して直線的なものではない。このモデルの作者は、これを明確にするために多くの努力をした。最初の段階も最後の段階もない。すべての段階を経験することのない人もいるし、受容した後に段階が繰り返されることもある。
(死の受容のプロセス - Wikipedia)
●そんなバカがいたら議論にならない。事実について議論することはできない。大きな声を出しながら、無駄な反論をすることはできる。それでも議論にはならない。ただの精神異常者が知識人に向かって叫んでいるだけだ。
↑これはもっと知られるべきこと。「科学」について議論する余地はないが、彼らは何度も試みる。何度も証明されているにもかかわらず、とにかくやってみるだろう(彼らは犠牲を払い、それでも理解できないだろう)
●もちろん科学に関する議論はある。しかし、その議論に参加するためには、そのトピックを理解する必要がある……。
●最前線の医療従事者から、実際に死の床にいる間に新型コロナの存在について「議論」を挑まれた話を数え切れないほど聞いた。
我々は、こうしたピエロたちがもたらしたダメージから立ち直ることはできないだろう。世の中にはジョン・F・ケネディ・ジュニアが死から蘇ると信じている人もいる。もう手に負えない。この時点で、地球平面説を主張する人たちですら穏健派と言えるかもしれない。
●私はいつもこのような患者と接している。「こういう状況で、これが私の推奨する治療法で、あとはあなた次第」と伝えている。そして、彼らがその治療計画を受け入れたくなかったことを必ず文書に残し、亡くなったときに遺族から訴えられないようにする。自分自身のこと以上に他人の人生を気にしないことをポリシーにしている。
●バカと議論するのは、ハトとチェスをするようなものだ。彼はすべての駒を倒し、ボードの上に糞をする一方で、他のハトはみんな彼が勝ったかのように振る舞う。
●人々は答えが欲しいのではない。自分が正しいと思いたいんだ。クソバカげてるよ。
欧米では子供の頃から自己主張をトレーニングされていると言いますが、医者とも議論してしまう傾向があるようです。