原爆の父「オッペンハイマー」についてのアメリカ女性の辛辣ツイートが注目を集める
世界初の原子爆弾を開発した理論物理学者「原爆の父」ロバート・オッペンハイマーの生涯を描いているため、日本で上映されるのかなども含め注目を集めています。
そんな中、アメリカ女性の辛辣なツイートが話題になっていました。
「オッペンハイマーの注目が消えるのが待ちきれない。
あの人たちが作った爆弾? ニューメキシコ州に落として実験したのよ。私の母にね。彼女は生後18か月のときに放射性降下区域にいた。高校の同級生21人のうち17人が白血病だった。そういう話をハリウッドは伝えなさいよ」
(@AlisaValdesRod1 / Twitter)
被害は投下された日本だけではなく、実験区域でもあったことを改めて実感します。
海外掲示板のコメントをご紹介します。
●そうだよ、映画は間違いなくオッペンハイマーを英雄のようには見せていない。
↑映画は地元民を強制的に土地から追い出し、政府がその土地を返すことについて笑い飛ばすことも伝えている。
↑間違っていたら訂正するが、映画の中でオッペンハイマーが直接、アメリカはそこにいた人々に土地を返すべきだと言うシーンがなかったっけ?
↑「ロスアラモスをどうすべきだ?」
「インディアンに返すんだ」
これが映画の中のセリフ。メディアリテラシーは死んでいる。
また、この映画はフランクリン・ルーズベルトを美化しており、日本人収容所についてはまったく触れていない。また、後のNV実験による放射性降下物や、あらゆる人種の数百人の赤ちゃんの死亡についても触れていない。それどころか、実際の労働組合員や、マッカーシー政権下で彼らに何が起こったかについてもほとんど触れていない。彼らにとってはバークレー・ゲームだったんだ。
ああ、それに日本人たちの喪失については、数行のセリフと主人公を悲しませること以外には触れもしなかったね。
ただし触れるもの全てについて考察をする必要があるわけではないし、適切な場合には批判を行うべきだが、この文脈、この映画においては重要ではない。
監督、脚本家、原作者たちは皆、付随的な悲劇や不公正を認識しているが、この国を舞台にしたすべての映画に、省略された疎外された犠牲者への黙祷の瞬間を期待するのは、不条理に近い。
●映画全体は、核兵器を作ったからといって英雄にはなれないという内容だ。彼は自分自身を英雄だと思っていなかった。
このコメントが多くの反響を呼んでいるので、この記事もリンクしておきたい。原爆が投下された時、広島と長崎にいた人たちの生の証言と、原爆規制と闘い続ける私たちへのメッセージを紹介している。
SURVIVORS OF THE ATOMIC BLASTS IN HIROSHIMA AND NAGASAKI SHARE THEIR STORIES
↑ありがとう。実際にこのプロジェクト全体が非常に急いで進められた。大量虐殺の戦争が起きたのだから、民族の滅亡を食い止めようとするのは当然ではないのか?
↑映画の最後の5分間は、まるでホラー映画のようで、オッペンハイマーと爆弾製造に関わったすべての人々に対する批判的な内容であることは間違いない。
↑最後の5分間で恐怖を感じた。
●英雄? これは英雄の物語なんかじゃない。あの映画は何も美化していない。原爆の背後にある科学は驚くべき成果だ。それはまた、絶対に人類の破滅につながる。
映画はオッペンハイマーを英雄として描こうとはしていない。
↑映画は彼を、とてつもなく難しい決断を下し、計り知れない過ちを犯した、悩みを抱えた知的な男として描いた。
しかし、それは同時に、良いところも悪いところも含めて、欠陥のある人間としての彼の背後にある真実も示していた。政府は彼のイメージを台無しにし、彼について多くの嘘を伝えた。影響を受けた人々の話は語られるべきだが、オッペンハイマーの話は彼らの話を否定するものではない。
●この映画が原爆を肯定し、マンハッタン計画を賛美しているとでも思っているのだろうか?
↑いや、映画の中でも、科学者たちがナチス退場後に核兵器の意義を疑問視する場面さえある。
↑その通り。だからこのスレッドは本質的に狂っている。このプロジェクトを継続させるために政府が行ったひどいことまで含めて映画の範囲を広げ続けることはできない。
●この映画がプロパガンダだという意見について。それは違う。オッペンハイマーを英雄として称えたり、センセーショナルに扱ったりはしてないし(当時の人々がそうした様子は描かれているが)、原爆の増産を呼びかけることもしていない。
オッペンハイマーを欠陥のある人間として、当時の政治情勢や人間関係が彼の人生をどのように形成したかを描いた歴史映画だ。
ニューメキシコの人々(アリゾナやネバダの人々も)が実験によって受けた影響について、もっと詳細に描くべきだったのでは? それはそうだね。
この映画にふさわしいかどうかはわからないが、そう思う。私の夫の母親は、アリゾナ州北部の核実験の影響を受けた地域で育った。40歳でガンで亡くなった。
↑映画の半分は、オッペンハイマーが安全保障上のリスクと見なされていることについて語っていて、それは彼が「正真正銘の終末装置」を作ったからではない。彼が共産主義者である可能性があるからだ。
●オッペンハイマーは核を使う決定とは無関係だった。オッペンハイマーはマンハッタン計画への参加を後悔し、アメリカがさらに致命的な爆弾を作るのを助けるのを拒否した。
●なぜ『プライベート・ライアン』は、ノルマンディー上陸作戦で連合軍に爆撃されたフランスの民間人に焦点を当てなかったのか?
なぜ『ゴッドファーザー』は、マフィアに殺されたり廃業させられたりした中小企業の経営者に焦点を当てなかったのか?
なぜ『エアバッド』では、犬にチームの座を奪われたために奨学金を逃したバスケットボール選手を取り上げなかったのか?
決して簡単なテーマではありませんが、映画の趣旨を含め、いろんな意見が交わされることに意義があるのかもしれません。