「妹が小さいとき、図書館で手話の本を借りたいと頼んできた…」運命的なエピソード
「ある日、学校から帰ってきた妹が『図書館に連れて行って』と頼んできた。手話の本を借りたいとのこと。彼女によると、学校に耳の聞こえない転校生がやってきて、ぜひその男の子と友達になりたいと言う。
今日、2人の結婚式で妹の横に立った。彼女が『誓います』を手話で表現するのを見ていた」
図書館の本で手話を覚えた結果、とても良い友だちになり、そして生涯の伴侶となったそうです。
海外掲示板のコメントをご紹介します。
●もしこれが実話なら、おそらく最高の本物のラブストーリーだね。間違いなく映画化に値する。実際の映画はこれよりも地味なエピソードだ。
↑(投稿者)同意。
●手話はとてもやりがいがある。私は真剣に、みんなに以下の手話を学ぶことを勧める。・アルファベット
・1〜10
・「ありがとう」
・「私の名前は」
・「はじめまして」
そんなにたくさんではないし、困難でもない。もし聴覚障害者に「私の名前は……です」と言う機会があれば、彼らの1日を明るくすることができる。
ちょっとした努力をするだけでコミュニティの人はとても喜んでくれる。たとえあなたが専門家でなくとも、見てもらい、「聞いてもらった」(理解された)と感じることができるのだ。
↑付け加えるなら、「助けが必要ですか?」はとても貴重な言葉だ。
(※アメリカ手話の場合)利き手でない方の手を前に平らに開き、上を向ける。利き手を親指を立てるような形にする。利き手をもう片方の手の上に置き、親指を立てるように両手を数センチ上に上げる。これが助けを求めるサイン。
↑友達と手話を学んだことがある。試験でカンニングするためだったが、座席の配置のせいで計画は台無しになった。でも聴覚障害者の友達とコミュニケーションを取るときに役立った。彼は他の人と話したことがなかったのだが、私と手話で話せて喜びを感じているようだった。
↑語学学習の熱意が試験勉強を超えるとき。
↑それはカンニングへの本物の貢献だな。
↑(投稿者)手話を習っている娘が、近くの大都市に旅行したとき、耳の不自由な人たちに出会って、おしゃべりできた。みんなの1日が楽しくなったことだろう。
●かつて手話を学ぼうとしたことがあるけど、国によって手話が違うことがわかり、意欲が失せてしまった。
●耳の聞こえない老夫婦が手話で「叫び合い」をしているのを目撃した。彼らの唇から漏れるのは、うめき声とため息だけだった。しかし、彼らの手の動きと怒りの表情の激しさは大きかった。音は必要なかった。
微笑ましい関係がいつまでも続いてほしいですね。