88%の医者が「自分に蘇生措置はしない」を選択、ただし患者には積極的な延命治療を追求する傾向がある…スタンフォード大学の研究
スタンフォード大学の研究によると、ほとんどの医師は、自分が末期症状に陥った場合は「蘇生措置を行わない」あるいは「コードなし」の状態を選択するとのこと。
しかしながら、同様の患者に対しては積極的な延命治療を追求する傾向があることがわかりました。
スタンフォード大学の研究によると、
「2013年に医師1081人を対象に行われた終末期の事前指示に関する調査によると、88.3%の医師が自身に対して『蘇生処置なし』または『コードなし』の指示を選ぶと回答」
「一方で、同じ状況の患者に対しては、積極的な延命治療を追求する傾向がある」
自分自身と患者への対応には、大きな開きがあったとのことです。
海外掲示板のコメントをご紹介します。
●姉が医者だけど、彼女も「いらない」派で、彼女の友人の多くもそうだった。
蘇生に関して言うと……今にも死にそうなとき、悪い不可逆的なプロセスが始まっているか始まろうとしている。蘇生から100%回復する保証はなく、それはクオリティ・オブ・ライフ(生活の質)にマイナスの影響を与えることを意味する。
↑大がかりな蘇生処置の大半は最終的に失敗に終わる。そのため、私たちは単に脈拍を取り戻すだけでなく、退院できる確率を高めることに力を注いでいる。
多くのケースで心臓を再始動させることができる。しかし、あまりにも長くダウンしている場合は重度の脳障害か脳死が待っている。数時間でも数週間でも結果は同じ。唯一の違いは、死ぬ前にチューブやドレーンを押し込まれて苦しむこと。
人生は素晴らしいが、いつかは終わる。90歳まで生きられる人もいる。40代で死ぬ人もいる。私たちは現代医学で逆境に立ち向かおうとするが、終末期のある状況に対処する場合効果はない。
あえて言うなら、死はいいことだし、大丈夫だ。その時はその時だ。患者を救うために懸命に戦わなければならない場合もあるが、安らかに死なせるべき状況も同じくらいある。
不幸なことに現実を直視できない家族がいることだ。子供や若い人ならわかる。96歳のおばあさんを何が何でも生かしておきたいという人々の気持ちには、ときどき困惑させられる。拷問に等しい。
↑同感だ。祖母が旅立つとき、私たちはただ祖母を旅立たせた。彼女は97歳だったから、たとえ心臓発作からどうにか生き返らせたとしても、苦しみ続けるだけだったろう。
↑93歳になる祖母の冷蔵庫には、文字通りDNR(心肺蘇生措置を行わない)指示が貼られている。悩ましいけど、なぜかは理解できる。
↑冷蔵庫を蘇生させたくないのかも?
●妻が病院で働いていたが、その仕事で最悪だったのは、死期が迫っていることをスタッフたちは知っていながら、家族が彼らを手放そうとしないことだと言っていた。
DNR(心肺蘇生措置を行わない)指示は、事前に選択することができる。
↑私だけど医師であり、DNR(心肺蘇生措置を行わない)指示を選択している。
心肺蘇生の成功率はひと桁(病院での成功率は15〜20%)で、多くの場合は永続的な障害を抱えて戻ってくる。私は一度だけ死ねば十分だ。
↑100%立ち直った人はいるのだろうか、それともそれは「奇跡」のようなものなのだろうか?
↑若ければ、あるいは氷の張った湖に落ちたような状態から蘇生されれば、100%立ち直る可能性が高くなる。
●看護師だけど、緩和期や終末期なら蘇生を望む可能性はゼロ。肋骨の唯一の目的は胸を保護することだから、設計上、圧迫されるのは本当に楽しくない。CPRの残酷さと生存率の低さ、そして数日、数週間、数か月で死ぬためにこんなことをしなければならないことを考えると「なぜ?」と思う。
もし私が心臓発作を起こしたとき、若く健康だったら圧迫するのが一番だけど、がんで余命数週間だったら蘇生した相手を呪うだろう。
↑複数の合併症を持つ96歳のおばあちゃんをフルコードで介護している多くの家族の心に、このことが伝わればいいのだが……。
●ケースバイケースだと思う。実際、DNRで良い結果が出ることもある。内容がすべてだ。今の私のように働き盛りの医師で、持病もない場合、逆転可能な場合(例えばある種の事故や心臓突然死など、今は思いつかないことも含む)は心肺蘇生が必要で、蘇生措置を行わないことは意味をなさない。
どう生きるかと同じくらい、どう死ぬかについても考えさせられます。