「もともとガムを売る気なんてなかった…」最大手のチューインガム企業の誕生秘話
2008年にマース社に買収されるまで、長い間チューインガムの最大手だったリグレー社(ウィリアム・リグレー・ジュニア・カンパニー)。
ところがリグレー社はもともとガムを売る会社ではなく、ひょんな理由からガムの大手企業となりました。
最初に売っていた主力商品は「石けん」だったのですが、なぜそれがチューインガムに繋がったのかと言うと……。
Reddit/EqualPenalty5969, Juicy Fruit - Wikipedia
ウィリアム・リグレー・ジュニア氏は、1892年に石けんを売る新事業を起こしたのですが、無料ギフトとしてベーキングパウダーを付加しました。
ところが、おまけだったベーキングパウダーのほうが人気となり、そちらをメインで売ることにしたのです。
そしてベーキングパウダーの無料ギフトに選んだのが数本のチューインガム。
そのチューインガムがベーキングパウダーよりはるかに人気が出たため、事業をチューインガムに切り替えたのです。
おまけのおまけだったものが、業界最大手に成長するとは面白いものですね。
海外掲示板のコメントをご紹介します。
●彼の「えっと、おまけに何かをあげないとね」と言う姿勢が気に入った。
↑残念なのは、彼がまだガムに無料ギフトを加えることが出来ていないことだ!
↑厳密には、彼は亡くなっている……だから、そう、彼の人生はすべての商品におまけを付けて終わったんだ。最後の一口まで、真の人道主義者だ。
↑彼はベーキングパウダーを与え、ガムを与え、命を捧げた。
↑稀なレジェンド。
↑1915年、ウィリアム・リグレーはまた、アメリカの電話帳に掲載されたすべての住所にガムを無料で送り、「電話帳に掲載される余裕があるのなら、ガムを買う余裕もあるでしょう!」と宣伝文句を付けた。
別のプロモーションでは、2歳の誕生日を迎えたアメリカの子供たちにガムを送った。彼のマーケティング戦略と広告は、彼の会社がチューインガム市場を支配するのに大いに役立った。
↑2歳児に必要なものだ!
●私の祖母は、50年代にリグリー社のビルで清掃員として働いていた。祖母は英語を話せなかったが、きちんとしたパートタイムの仕事をしていた。
私の祖父は、同じビルでメンテナンスをしていた。リグレー氏は彼の仕事を救ってくれた。私は祖父に会ったことはないが、リグレー氏が私たち家族にとってどんなに素晴らしい人であったかは聞いている。
祖母は彼の下で働くのをやめてから49年間、亡くなるまで休日のガムを受け取っていた。ささやかなものかもしれないけど、私が上司から受け取ったものは心痛と不安だけだ。
ビジネスの才能があったと言えますね。