信心深いアメリカ人「無神論者は善悪の区別をどうやってつけてるの?」→支持を集めていた回答
この質問に対し、無神論者の返答
「永遠の罰の脅威がなければ良い人でいられないなら、あなたは善人ではない」
地獄回避という理由がないと良いことをしないのであれば、はたしてその人は善人かという問いかけ。
海外掲示板のコメントをご紹介します。
●その文を補完すると「あなたは善人ではない。あなたはリードにつながれた悪人だ」。
↑戒律を学ぶキリスト教徒
「おお、人を殺してはいけない」
↑でも、もし私が本当に、本当にそうしたかったら、あるいは相手が私と少し違っていたら?
↑永遠に焼かれて苦しむと言えばいい。それで解決するはずだ。
●キリスト教徒はこんな感じ。『あはは、どうやって善と悪を判断するの? 神様が言わなければ、子供に触れてはいけないことなんてどうやってわかるの? 無神論者よ、これが決定打だ』
↑カトリック教会よ、やったね!
●マット・ディラハンティ(アメリカの著名な無神論活動家)は最高の言葉を残した。
「私は殺したいだけ殺し、罪を犯したいだけ犯す。そしてその数は0である。もしあなたの数が0より多いなら、問題はあなた自身にあり、宗教的信念にはない」
●毎週日曜日に教会に行って『良い人になりなさい』と言われなければならないなら、あなたは良い人ではない。
↑多くの人は教会やモスクやシナゴーグに行き、行くだけで自分は善人だと信じている。ただ行くだけで、彼らがすることは全て良いことであり、教会/モスク/シナゴーグに行くから彼らは善人なのだ。
●論理、共感。
●黄金律だ、私の子供にもこれを教えた。
●子供たちよ、今日の言葉は 「倫理」だ!
この言葉を調べて、クラスのみんなに説明できるように準備しておいてね!
「善」を追求しようとする点においては共通していますね。