愛する息子を亡くした両親が…心臓移植を受けた男性の心音に涙する

臓器移植は生命を救うための希望の象徴ではありますが、一方、提供者の遺族は失った悲しみと、その臓器が新たな生命を吹き込んでいる事実に複雑な思いを抱きます。
心臓移植を受けた人を通して、亡き息子の心音を聞く両親の姿が、海外サイトで感動を呼んでいました。

(credit:Reddit/MicV66)
提供された心臓によって命を繋いだ男性と、その鼓動から亡くなった息子さんを感じ取る両親の姿。
その気持ちは思うと、言葉になりません。
海外掲示板のコメントをご紹介します。
●提供を受けた男性が彼らをしっかりと抱きしめ、誇らしげに立っている、言葉なき感謝である。
↑彼にとっても明らかに感情的な瞬間だ。なんて写真なんだ。
●ああ、父親の表情は、本当に胸が張り裂けそうだ。
↑愛おしい心臓が今も鼓動を打ち続け、別の誰かの命を支えていると知るのは、どれほど切なくも甘美な気持ちになるのか想像すらできない。それは人を打ち砕き、同時に癒すような出来事だ。
↑彼らが産み出した心臓の鼓動を聞く。ある意味で、彼らの息子の一部は今も生きている。悲しくも美しい。
↑両親は一度にあまりにも多くの感情を抱いているに違いない。息子を失った悲しみと同時に、彼の命の一部が今もここに残り、新たな命を育んでいる事実への誇りと安堵。
↑この状況で心の整理をつけるのは誰だって難しいよね。
●ある家族と出会う機会に恵まれた。彼らの息子さんの臓器は、たしか5人に提供され、心臓を受け取った男性とも会った。その少年の両親は今や臓器提供の熱心な推進者となり、自らの体験を語っている。非常に悲しい物語だが、全体としては美しい結末を迎えている。
↑臓器提供は任意参加ではなく任意拒否方式にすべきだと思っている。自分がもはや必要としないものによって、どれほど多くの命が救われるか想像してみて。
↑一部の国ではさらに一歩進んでおり、臓器提供を拒否すると待機リストの最下位に回される。
(追記:自分が知る限りではシンガポールが代表例だが、他国にもあるかも。また、医学的な理由から臓器提供の適格者でない場合は、このペナルティは適用されない)
↑どこでもそうあるべきだ。得るためには与える覚悟が必要だ。
●父親として、最も恐ろしい悪夢は我が子より長生きすること。この小さな命を愛し育ててきたこの6年間、人生の光となった。死ぬその日まで、この愛と慈しみを与え続けるつもりだ。その未来を失うことは……想像すらできないよ。
●親友が24歳で亡くなった。ひとりっ子だった。彼女の臓器で8人の命が救われた。そのことが彼女の両親を支え続けたのだと心から思う。何とも苦く甘いことである。私はずっと臓器提供の登録をしてきたが、特に彼女の死後、その思いが強くなった。
↑臓器提供者であることは、死後の命の形と言えるのではないだろうか。彼らは、自分たちが得られなかった人生を、他の人が生きる手助けができるのだから。
残酷な運命のいたずらだけど、もしそれが私の友人だったら、時が経てば、その友人が他の人々の中で「生き続けている」と知って慰められると思う。少なくとも、そうでない選択肢よりは慰めになる。
↑愛する人たちに思い出だけを残すのではなく、私たちにできるさらなること。私たちの多くは、人生を変え、命を救うような自らの痕跡も残せる。
↑自分は、臓器提供に対する考え方は年月を経て変わってきた。若い頃は「死んだ後の肉体は部品取り場じゃない」と思っていた。今では「死んだら必要なものは持って行ってくれよ、自分が使うわけでもないし」という感じ。
●なんてこった。写真を見て、こんなに即座に泣き出したのは初めてだよ。
↑あなた1人じゃない。
↑一方では美しいけれど、他方では打ちのめされる。もっとうまく自分の考えを言葉にできたらいいのに。
多くの人に影響を与えていました。



















